20140309 『神のわざが現れる』 ヨハネ9:1-12 岩井基雄牧師

『神のわざが現れる』 

「イエスは答えられた。『この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。』」

(ヨハネ9:3)

生まれつき目の不自由な人を前にして、主イエスの弟子たちは、「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。」と主に尋ねた。その本人がどのように思うのか、思いやりや配慮を欠くことばの背後には、因果応報的な考え方がある。

様々な問題が起こった時、その原因を追究する姿勢は重要であるが、犯人探しの無責任なあり方もそこに露呈される。主イエスは全く逆の視点でその人を見つめた。それはその人を通して、その痛みを通して神がわざを行われ、栄光を現されるという視点だった。実際に主は彼に触れ、具体的な愛と恵みを与えた。その方法はユニークだが、人からの施しを受けることしかできなかった本人にとって、自ら歩みだす大きな励ましとなっている。そしてこの後彼は大胆にその喜びと感謝を表現していくことにある。目の癒しにとどまらず、彼の人生を、心そのものを光へと導いた主こそ、真に「世の光」である救い主であった。

闇の中に輝く光は、人の罪を赦し、いのちある光へと導くだけではなく、その人を通して他の人々が光へと導かれていくいのちの連鎖を生み出していく。弱さを持つ人々を通して神のわざが表わされていく、そこにこそ神の愛といのちの輝きがある。

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