20140330 『主にある喜びと悲しみ』 2サムエル6章 岩井基雄牧師

『主にある喜びと悲しみ』 

「ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終え

てから、万軍のの御名によって民を祝福した。」

(2サムエル6:18)

 主の恵みによって新しい都に移ったダビデが、まず最初に導

かれたのは、主の契約の箱をその都の中心に据えることであ

った。その契約の箱は主の臨在の象徴であったゆえに、その

優先順位は大切な意味を持っていた。ダビデは早速実行に移

したが、主の律法に則して事を運ばなかった。もともと神の箱

は、牛車に載せるべきものではなく、レビ人のケハテ族に属す

る者が肩に担うべきものと定められており、また、聖なる箱に触

れる者は、たとえケハテ族であっても必ず死ぬとあらかじめ警

告されていたのだ(民4:14‐15)。それに加えて、ウザ自身の慣

れや心の状態の問題があったであろうか。

問題が起こった後、ダビデは綿密に神の御言葉を調べた上

で、改めて神の御旨通りに神の箱を迎えることが出来た.彼は文字通り喜び踊ってこれを迎えたが、妻ミカルは父サウルの影響やプライドが邪魔をしてか、ダビデをさげすみたしなめた。しかし、ダビデはそれを意に介さず、かえって妻のほうを戒め、主ご自身の恵みと憐れみ、そして主の臨在の喜びを豊かに表現したのである。失敗を通してこそ、その喜びを深く味わったのだろうか。主の恵みの豊かさはそこにもある。

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