20140406 『私は今は見える』 ヨハネ9:13-23 岩井基雄牧師

『私は今は見える』 

「彼は言った。『あの方が私の目に泥を塗ってくださって、私が洗いました。私はいま見えるのです。』」

(ヨハネ9:15)

生まれつき目が不自由だった男性が主イエスによって癒されたことが様々な議論を生んでいった。それはその癒しの日が安息日だったからだ。主はなぜ敢えてその日を選ばれたのだろうか。そして他の病の人々をも主は、安息日にお癒しになった。真の安息がなんであるのか、本当に癒される必要があったのは誰であったのか、主は私達にも問いかけている。

彼の証言は真実であった。かつては見えなかった者が、見えるものとされた。主イエスによって自分の目が開かれたという証は。安息日の癒しのわざを裁こうとする人々にとっても、強烈な証となっていく。両親でさえも恐れたユダヤ当局者たちを彼は恐れない。そして「神の栄光」が彼を通して表わされていく。目が開かれていく人生は、私たちすべての人に備えられている。しかし、自らが盲目であること、罪によって心の目が閉じられていることを認めなければ、私たちはその恵みの豊かさを知りえない。主は私たちを心から愛し、私たちの人生を豊かに変えようとしてくださっている。そこにこそ驚くべき恵みがある。

次週 【聖日礼拝】 『一粒の麦』 ヨハネ12:12-26 牧師

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