20140427 『「もしも」の生き方から神の栄光を見る人生へ』 松村隆先生<元 ウィクリフ宣教師>

『「もしも」の生き方から神の栄光を見る人生へ』 

主を信じるということは、「イエス様を罪からの救い主として信じます。」と言ってキリストに人生を捧げた日、それで終わることではない。多くの人が、イエス様に救われて、天国行きの切符を手に入れて、それで信じる業が終わったように勘違いしている。後は、自分の知恵の範囲で分かるところだけでキリスト者生活をおくってしまいがちである。それでは、この地上での一人一人の人生の意味がなくなってしまう。

罪という概念も、良く間違うのではないか。日曜学校で、良く教えられる「けんかは罪だ」のレベルではなく、神のみこころを知りながら従わないこと、神の力が示されているのに信じないことが罪だ。

イエス様は、ラザロのよみがえりの奇跡をなさる時、人々の信じない心、キリストの前で常識的な考えしかできない人々に心を痛め、憤りさえ覚えながらその業をなされた。イエス様の涙の奥には、深い複雑なものがあったに違いない。主は、マルタに人の知恵では理解できない領域で、人を死よりよみがえらされる永遠の力をお持ちの救い主を信じるように挑戦された。私たちも日々、自分の知恵ではどうすることもできない領域で、よみがえりの主を信じるようにみことばからの挑戦を受けているのではないか。常識で生きる私たちは、FBやTwitterで愚痴を言い、誰かに話して何か解決したように思い込んでしまう。むしろ、「信じるなら栄光を見る」と言ったではないかという主のお言葉に耳を向け、「主よ。あなたを信じます」と告白して信仰による一歩を踏み出すとき、私たちは、世に証し者として立つことができる。

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