月別アーカイブ: 5月 2014

20140518 『キリストのかおりを放つ』 2コリント2:12-17

『キリストのかおりを放つ』

「神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」

(コリント2:14,15)

勝利の行列に加えられる私たちは、主が勝利者であり、主に勝ち取られた者として、私たちはその行列に加えられていく。凱旋行進の時に引き回される捕虜の存在が勝利の素晴らしさを群衆に現すように、キリストによる恩寵の勝利の捕虜として、キリストの恵みの素晴らしさを人々に現している。それは私たちの勝利ではなく、主の勝利であり、私たちの真の回復である。

主に勝ち取られ、主のものとされた者として、私たちはあらゆる場所で、キリストを知らしめる知識の香りを放つことができると聖書は語っている。凱旋行進の時には香がたかれたが、私たちキリスト者も、福音宣教を通してキリストを知る知識の香りを放っていく。しかしその香りは、福音への応答によって、救われる者には命を、滅びる者には死をもたらす面をも持っている。主から託された使命は決して軽くない。しかし、それは永遠のいのちに関わる重要な務めである。自分の利益や名声のために神の言葉に混ぜ物をして提供する悪い働き人と異なり、パウロは神の言葉の通り、キリストの代理として、神の御前で語るのである。私たちもどこにあってもキリストのかおりを放つ者 とされたい。

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20140511 『真の愛と導き』 ヨハネ10:14-18

『真の愛と導き』

「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。」

(ヨハネ10:14,15)

今日は「母の日」、多くの方の愛によって私たちは育まれてきたのだが、やはり母の愛は格別であろう。精一杯の愛を私たちに注いでくださり、恵みと愛を無償で提供し、忍耐の限りを尽くして、育み続けて下さっている。その愛に応えることは十分にはできないだろう。しかし、日々その恵みを感謝させていただきたい。

私たちは羊のように弱く、愚かな面を持つ存在である。しかし真の羊飼いであり、良い羊飼いである方が私たちの人生を守り導いてくださる時、私たちの歩みは揺るぎないものへと変えられていく。その方は神のひとり子であり、救い主イエス・キリスト。私達への限りない無条件の無償の愛を注ぎ、いのちをかけて救いの道を開いてくださった。そして「わたしのもの」と呼んでくださり私たちの全てを知っていて下さる。私たちもまた、真の牧者を知り、その方についていくことができる。多くの方がこの方によって人生が変えられ、恵みと祝福を豊かに受けてきた。そしてその方々が私たちの為に祈っていて下さっている。私達もまた、他の方々のために祈ることができ、導くものへ と変えられ続けていくことができる。主の愛に生かされる人生には大きな希望がある。

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20140504 『目と心が開かれる』 ヨハネ9:24〜41

『目と心が開かれる』 

「その人は答えた。『主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。』」

(ヨハネ9:36)

生まれつき目の不自由だった男性を巡って、様々な議論が起こる。最初は按手礼に癒した者への追及や確認がなされていくのだが、議論の中心は、癒したイエスという存在がどのような存在なのかへと移っていった。そこには、癒された男性の揺るぎない証があった。人の目や評価ではなく、真理に立つ人の姿を彼の中に見ることができる。それは真に開かれた姿である。

その男性を主イエスは自ら探し当てられた。そして、さらに彼の信仰を引き出される。イエスが用いた「人の子」という表現を通して、主が持っておられる主権を明確にされた。「その方を信じることができますように」という彼の告白を受け止められた主は、「目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるため」と語り、人々にチャレンジをされた。自分は見えると思っているものが、主によって砕かれ、自分の盲目差が教えられていく。そこにこそ主の愛がある。主の御業は、人々の心の奥底にあるものをも照らしていく。それは主の愛に基づいている。心を開こう。

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