20140504 『目と心が開かれる』 ヨハネ9:24〜41

『目と心が開かれる』 

「その人は答えた。『主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。』」

(ヨハネ9:36)

生まれつき目の不自由だった男性を巡って、様々な議論が起こる。最初は按手礼に癒した者への追及や確認がなされていくのだが、議論の中心は、癒したイエスという存在がどのような存在なのかへと移っていった。そこには、癒された男性の揺るぎない証があった。人の目や評価ではなく、真理に立つ人の姿を彼の中に見ることができる。それは真に開かれた姿である。

その男性を主イエスは自ら探し当てられた。そして、さらに彼の信仰を引き出される。イエスが用いた「人の子」という表現を通して、主が持っておられる主権を明確にされた。「その方を信じることができますように」という彼の告白を受け止められた主は、「目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるため」と語り、人々にチャレンジをされた。自分は見えると思っているものが、主によって砕かれ、自分の盲目差が教えられていく。そこにこそ主の愛がある。主の御業は、人々の心の奥底にあるものをも照らしていく。それは主の愛に基づいている。心を開こう。

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2件のコメント

カテゴリー: Uncategorized

20140504 『目と心が開かれる』 ヨハネ9:24〜41」への2件のフィードバック

  1. 石橋秀則

    自分はよく物事が見えていると思っていましたが、聖書を学ぶうちに全く見えていなかったことに気付かされています。70数年生きてきて自分の見知らぬことがいっぱいあることに驚きと感動を覚えています。

  2. みことばの深みに目が開かれていくこと、素晴らしい恵みですね

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