キリストのことばとわざ

キリストのことばとわざ

「しかし、もし行っているなら、たといわたしの言うことが信じられなくても、わざを信用しなさい。それは、父がわたしにおられ、わたしが父にいることを、あなたがたが悟り、また知るためです。」                          (ヨハネ10:38)

先の「わたしと父とは一つ」というイエスの発言が、ユダヤ人の反感を更に深めていく。すでにユダヤ人たちはイエスがご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたことに対して殺意を顕わにしたが、ここでもイエスの言葉は死に値する神への冒涜的な発言と理解された。しかし、主イエスご自身は、ご自分のわざそのものから、ご自分が神の子であることを認め、それを知るようにと彼らにチャレンジされた。自分の理解を超えた神の存在の豊かに出会う時、そこには私たちがキリストのなさったわざに目を留めるようにとのチャレンジがある。キリストが神でなければできない奇跡のわざを主は歴史の中に刻まれた。私たちはそれをキリストの愛のわざとして、見るように招かれている。

ユダヤ人たちの暴虐の手を逃れるために、イエスは神殿を去って、バプテスマのヨハネが初めにバプテスマを授けていたベタニヤへ行かれた。かつてヨハネがイエスについて数多くの証言をした場所である。そして彼の証を聴いた人々がその真実さをキリストを通して認め知っていく。主は人の証の真実さをも用いて下さる。ことばにもわざにも力のある救い主キリストを、私たちもまた、力強く証していくことができる。主の恵みに生かされたい。

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