2014.8.3 「イエスの愛と犠牲」ヨハネ11:1-16 岩井基雄牧師

『イエスの愛と犠牲』 

「イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。」

(ヨハネ11:5,6)

 主イエスが、愛された街の一つがベタニヤだった。ここにはマリヤとマルタの姉妹がおり、彼女たちの兄弟のラザロが死に瀕する病で苦しんでいた。そのことを聞かれた後も、主はすぐに駆けつけることをせず、なお二日留まられたと聖書は記している。その理由は主が彼らを愛しておられたからだというのだ。

 愛しておられるならば、すぐに行く…それが私たちの理解の中心にはあるだろう。しかし、主は時を待っておられた。「もう一度ユダヤに行こう」と主が言われた時、弟子たちは、それがいのちを犠牲にする可能性がある事も示唆した。しかし主は、その犠牲を厭わない。ラザロがすでに死んだことを知っておられ、目を覚ましに行くのだという主のことばは弟子たちには理解できなかった。主のなさること、語ることは時に理解できない。しかし、トマスは、「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。」と語り、主と共に行くことを決意する。その決意がどれほど脆いかを後に明らかにすることになるが、弟子たちの決意や不安を、主はすべて受け止められたであろう。

 主の愛と犠牲の豊かさを私たちもまた、学び続けていく必要がある。そして弱さを超えて、主を愛する者とさせていただきたい。

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