20140907 「一人の人が代わりに死んで」ヨハネ11:45-57 岩井基雄牧師

「大祭司であったカヤパが、彼らに言った。『あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。』」        (ヨハネ11:49,50)

 神は、時に不思議な人や状況を用いられる。悪い方向に向かう事柄の中にさえ、神は私達に恵みや祝福を用意してくださる。

 過越の祭の数週間前に、イエス・キリストのことを話し合うために、ユダヤ最高議会であるサンヘドリンが招集された。彼らは何とかして、人々の心がキリストへと向かうこと、また自分たちの立場を危うくするイエスを捕らえることを画策している。

 彼らは、イエスに信頼を置き、希望へと立ち上がろうとする歩みが暴動などに発展し、ついにはローマ軍が介入して、自分たちの存在が危うくなることを警戒したのだ(48)。彼らがイエスを殺そうとしていたことを、ヨハネはすでに幾度も言及している。確かに、キリストを十字架刑によって死へと向かわしめるのは、彼らのわざと言えよう。しかし人の思いや計画を超えて、神はご自身のご計画を持って、全てをおさめ導いてくださるのだ。ここでは当時の大祭司カヤパの唇を通して語られた言葉が、不思議にもキリストの十字架の死が持つ特別な意味と目的が暗示された(50‐52)。しかもそれは恵みが全ての民族へと及んでいく事へと広がっていく。神がなさることは時にかなって美しい。私達はどんな状況の中にあっても、神を待ち望み、神と共に歩み続けていくことが出来る。全ての民の贖いとなってキリストは死なれたからだ。

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