2014.9.14「主へのささげもの」ヨハネ12:1-8 岩井牧師

「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。」 (ヨハネ12:7)

 敬老の日の感謝礼拝を共に迎えることができることは、本当に感謝だ。歳を重ねていくことができることは、主の豊かな恵みであり、誰もが与れるわけではない。その恵みと憐れみを日々覚え感謝する生涯は、周りの方々にも喜びと感謝を分け与えていく。

 愛する兄弟ラザロの死を経験し、4日も経つという絶望の中で、マリヤは主イエスを迎えた。主がここにいて下さったならば…という彼女の悲しみを打ち破るように、主はラザロにいのちを与え、再びともに歩む者としてくださった。その喜びと感謝はどれほどであったろうか。彼女はその感謝を、具体的な犠牲と愛によって主に表わした。それは彼女が特別の時のためにと用意してあったもののようだ。どのように誤解されようとも、彼女の目は主に注がれ、主への愛を豊かに表わしたのであろう。しかし主は、それを「わたしの葬りの日のため」と表現している。

 マリヤがどのように主イエスの死を理解し、それに備えていたのか、聖書は明確には語っていない。しかし、豊かに注がれたその香油は人々の心に記憶にとどまり、この後、主の十字架とよみがえりの勝利の香り、記念の香りとなったのではないだろうか。

 死に備える人生ではなく、永遠のいのちへと備える人生の勝利は喜びと感謝と愛の豊かな実を結んでいく。主の愛を受けて

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