2014.9.21「主の教えを喜びとし」Ⅱコリント5:1-10 鎌田泰行KGK主事

「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

(詩篇1:1-3)

詩篇一篇には二つの生き方が描かれている。「正しい者」と「悪者」の生き方である。正しい者の生き方は「水路のそばに植わった木のよう・・・時が来ると実がなり、その葉は枯れない・・・その人は、何をしてもさかえる」と描かれ、対照的に悪者は「風が吹き飛ばすもみがらのようだ」と描かれている。

正しい者として生きる秘訣は、「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ(思い巡らす)」ことである。旧約聖書のダビデをはじめ、古の聖徒たちは主のおしえを喜びとして口ずさみ、その報いとして豊かな実を結ぶ人生を歩んだ。しかし、ただひとり完璧に「主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」生き方をした主イエスはその従順の報いとしてさかえより先にさばきを受けられ、十字架の上で「木にかけられ・・・のろわれたもの」となった(ガラテヤ3:13)。

イエス様が私たちに代わって律法ののろいと神のさばきを受けたことにより、生まれたままでは主のみおしえを喜びとしない私たちが、主イエスへの信仰を通して、主のおしえに生きる祝福に与り、主イエスの受けたさかえにも与るようになる。

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