月別アーカイブ: 11月 2014

20141130 『天地創造とクリスマス』 創世記2:7-8町田俊之師

「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。」

(創世記2:7,8)

本日はクリスマスアドベント第1の聖日です。

1、この世界のはじまり

 神が造られた世界は最上のものでした。宇宙、自然、大地が神を褒め称えていました。神は被造物の最後にご自分との交わりを持つために人間を創造されました。

 しかし、人間は神との交わりに失敗し、神に背を向けて歩むようになり、人間は労苦と嘆きの人生を歩むようになりました。

2、フラ・アンジェリコの「受胎告知」の絵

 この絵の中には、乙女マリアのところに天使がやってくる場面とともに、アダムとエヴァが楽園を追放されている場面が描かれています。つまり、マリアがイエスを身ごもることの原因が、アダムとエヴァの楽園での出来事と関係していることが分かります。

3、イエス・キリストが生まれた理由

 キリストがこの世にお生まれになった(クリスマス)のは、人間の抱える問題の根本的な、そして最終的な解決のためであることを知ること、また受け入れることは、私たちの人生をはじまりの状態に回復されていくことなのです。

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2014.11.23『神の恵みに生かされて』Ⅱコリント6:1-10

「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。」

(Ⅱコリント6:1)

私達には、様々な問題や課題がある。同様に主の教会にも問題や課題がある。あなた、また清瀬教会の課題は何だろうか。

コリントの教会には数多くの問題があった。しかし、その中にあって主の教会は「和解の使者」として成長していく。その中で主が問うておられるのは「神の恵みをむだに受けないように」というチャレンジだ。神の民イスラエルは幾度その恵みを無駄にしてきたことだろうか。主の愛と恵みを踏みにじるような歩みを幾度も重ねてきた。ただ主の憐れみによって生かされていることは私達も同様である。しかし、そこで私達は留まっていてはならない。

自分が「神のしもべ」であることを自覚し、私達もあらゆる苦難、艱難の中にあっても主に信頼を置き、忍耐と喜びの日々を重ね続けていきたい。真実で誠実に、恵みに生かされ、喜びとともに与える者として成長を与えられていきたい。悪しき霊は私達がみことばによって変えられていくことを最も恐れる。そして妨害し、私達の成長を阻もうと内側から誘惑し、身体も心も疲弊させ、喜びを奪っていく。私達はその事実を覚えつつも、互いに励まし合い、慰め合って主の愛と和解の使者として成長を与えられていきたい。主が喜んでくださることは何か、考え行う者とされたい。主の恵みを豊かに味わい、それに生かされ続けよう。

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20141116「栄えに満ちた喜び」Ⅰペテロ1:3-8 岩井基雄師

「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」

(Ⅰペテロ1:3)

この地上における愛する人との別れは、私たちに深い痛みと悲しみを与える。そして私達もまた、自らの人生の最期の時をどのように生かされていこうかと思いを馳せることがある。必ず訪れる、肉体の死という事実の前で、私たちは自分の限界や弱さを教えられる。

しかし、聖書は私たちに、死に打ち勝ついのちと、栄光の希望、そして栄に満ちた喜びが私たちに用意されていると語っている。この手紙が書かれた時、イスラエルでは、キリスト者に対する迫害が増し加わり、死をも覚悟しなければならない時だった。為政者たちの思い一つで揺り動かされる現実の中で、キリスト者たちは、もう一つの事実、イエス・キリストにあるよみがえりの勝利と、地上の主権をも支配する神の御支配と愛といのちを見つめるようにと導かれていった。

「天国は本当にある」という実話をもとにした映画を観る機会があった。一人の少年が経験したことは、誰も否定できないほどの恵みであった。私達もまた、神が用意された救いの道、栄に満ちた喜びの中へと招かれている。すでに神様の主権の中に置かれた一人一人の人生を想い、私達もまた、希望と喜びの生涯を歩ませていただこう。生ける望みは主イエスのうちにある。

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20141109『光を信じて歩む』ヨハネ12:36-50 岩井基雄師

「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。…わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです。」                        (ヨハネ12:46,48)

光であるキリストを信じることの祝福は、何ものにもかえられない栄光の希望と平安を私たちにもたらす。

キリストがこの地上に来て下さったのは、私たちが神の愛を受け入れ、光に照らされる罪を認め、悔い改めて、光の子とされることは大きなご目的であろう。しかし、主がこの世に来られた目的はそこで終わっていない。私たちはキリストを信じ、救いを受けて終わりなのではなく、この混迷の世の中を、誘惑と闇に満ちた世を光の子として生き、光と共に歩み続けるためである。そして神の国がこの地上に建てあげられ続けていく。私たちのこの地上における使命は、壮大な神のご計画のうちに導かれている。

光である主を信じる歩みは、見るべきことを見、人からの栄誉よりも神からの栄誉を求め、闇の中にとどまらず、神のことばを聴き守り生かされることへと続いていく。今のこの時代だからこそ、私たちが信仰に立ち、愛に生かされ、愛を届けることの重要性が増している。私たちはどのように生きていくことができるだろうか。主は私たちに、あなたに何を求めておられるだろうか。

公義を行い誠実を愛し、へりくだって、神と共に歩もう(ミカ6:8)

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20141102『光の子として歩む』ヨハネ12:27-36 岩井基雄師

「あなたがたは、光がある間に歩きなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこに行くのかわかりません。あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。」(ヨハネ12:35,36)

先週の合同婦人修養会は、これから自分がどのように生きるのか、問われるひと時だった。

私たちの主は、御父の御名の栄光が表わされるようにと歩まれた。その栄光は主イエスの十字架と死、よみがえりの勝利によって表わされ、世の支配者であるサタンは追い出され、主にあって全ての人が主のみもとに招かれ、引き寄せられる。

御父の栄光は、私たちがいのちへと移されることを通して、表わされ、そのために御子キリストは、自らを完全に明け渡され、まっすぐに十字架の死へと向かってくださった。そこに栄光があるという。自らを他の存在のいのちのために与えつくす栄光…。そこに私たちも招かれている。

主イエスの光があるうちに、示される自らの闇を認め、光であるキリストを信じ、光の子供となるようにと主は、主を取り囲む全ての人に語られ、招かれた。それは私たちへの招きでもある。そこには光の子として歩むようにとの招きがあり、主の祝福の約束が与えられている。光の子は、主の愛の光を反映させていく。

私たちはどのように生きるだろうか。主のご計画に心を止め、主からのチャレンジを生かされていく者とされたい。

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