20150111『キリストのユダへの愛』ヨハネ13:21-30 岩井基雄師

「イエスは答えられた。『それはわたしがパン切れを浸して与える者です。』それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。」(ヨハネ13:26)

イスカリオテ・ユダを主がいつ、何故弟子に加えたのか、明確ではありません。その名前からも、カリオテ(ケリオテ)出身の可能性があり、ガリラヤ出身でない唯一の弟子だったのではないかとも言われます。またここでは父親の名前が挙げられていることから、父親も当時良く知られていたのでしょうか。

この最後の晩餐の時には、すでに主を裏切り銀貨30枚を受け取っていたユダでした。弟子仲間の財布を預かるほどの信用も受けていました。しかし、主に香油を注いだマリヤの行為を金銭で測ったのも彼でした(12:5)。様々な計算が主への愛に勝り、主からの愛さえも受け取れなくしていったのでしょうか。彼の心や失望等は想像の域を出ませんが、聖書は一貫して彼の罪の姿を描き、サタンに利用された現実を伝えています。しかし、その彼に対しても主は豊かに愛を注がれました。主賓の愛する者席に彼を敢えて座らせ、主が全てを知っていることを示し、最後の悔い改めの機会を与えたのです。しかし、彼はその愛を受け取ることをせず、立ち上がって祭司長達のところに向かいます。

私達は彼を笑うことは出来ません。私達の心にも、彼と同じような思いが募ることがあるからです。しかし、そんな私達にも主は愛を示されます。私達はどのようにその愛に答えるでしょうか。

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