20150208 『きよさに向かう悲しみ』 コリント7:1-10 

『きよさに向かう悲しみ』 
「あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。…神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」
(コリント7:8-10)
 私達は様々な失敗や過ちを犯してしまう。それは弱さの故であるが、それを真正面から認めることには勇気が要る。そして、それを導き支える交わりは、真実な交わりへと深まっていく。表面だけの交わりならば、経験しない痛みを、コリントの教会は通っていく。しかし、それは豊かな実を結ぶ歩みとなっていった。

 多くの問題を抱えたコリントの教会だったが、パウロを通して、少しずつ悔い改めへと導かれていった。先に送ったパウロの「涙の手紙」を通して、主の教会が変えられていった恵みをテトスから聞いたパウロの喜びは大きなものだった。テトスとの再会も大きな慰めであったが、彼らの恵みの変化と主への悔い改めの姿は主のみことばを語り続けてきたパウロにとって大きな喜びであり、慰めであった。真の慰めは、主の御心に沿ったところにある。我が子の成長や真実な悔い改めを祈り、求めてきた親のように、パウロの喜びは、彼の熱い祈りと愛を表すものでもあった。
 私達も様々な悲しみに出会う。しかしその事を通して、神の恵みへと向かうならば、罪の赦しと救いへの恵みへと導かれる。主が与えてくださる恵みの中に、私達も生かされ続けたい。

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