20150222 『祝福は 神への信頼を通して』 創世記22:1-18 山野一平 宣教師

『祝福は 神への信頼を通して』 

1. 神は人身御供を要求しておられるのではない[エゼキエル18:32]
人間の払い得るどんな犠牲も、天国を保証してはくれない[ヘブル10:3-4]。イスラム教徒は羊を、日本人は自己を、テロリストは他人の命を犠牲にする。イスラムでは犠牲祭で創世記22章の出来事を記念するが「天国に行けるかどうかは裁きの日までわからない」と説く。「われは大きな犠牲で彼(アブラハム)を贖い、末永く彼のために(この祝福を)留めた」というコーラン(37:107-108)の言葉は、「神の小羊イエス」を信じる者こそ味わうことができるだろう。  
2. アブラハムは神を信頼して従った [1-10
]
理解できない状況で、どうして彼は神を信頼できたのか?「自分は信頼できないが、神は信頼できる」と、今までの失敗を通して悟っていたからだ。人を恐れてわなに陥り [創世記12:10-20,20:1-17]、浅知恵で禍根を残した自分たち[16:1-16,21:9-21]。だが神はあわれんで尻拭いし、奇跡的に将来と希望を与えて下さった。だからどんな事態の中でも「決して見放さず見捨てない方が責任者」と認め、神の善意を教えて頂こう[1節、エレミヤ29:11]。
3. 神は私たちに信仰(神に信頼する心)を与え、世界を祝福してくださる [11-18
] 
 息子イサクが恐れず逃げなかったのは、神に委ね切った父親を見ていたから。神が下さった犠牲の羊、御父に信頼し切ったイエス様[ヨハネ3:16] を見て、私たちも神に委ねればよい。弱い不信仰な私たちを選び、造り変えて、神はご自身がどのようなお方かを世界に示される。

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