月別アーカイブ: 6月 2015

20150621 父の日歓迎礼拝『父の愛と訓育』エペソ6:1〜3 岩井牧 師

『父の愛と訓育』 

 「子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。 『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。…父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」                   (エペソ6:1,2,4)

 今日は父の日、私達のために忍耐を重ね、犠牲と愛を豊かに表してくださったお父さん達に心から感謝したい。
 聖書は、子ども達に良心に従うことの大切さを一貫して教えている。自分では選ぶことが出来ない親の存在、その親との関わりを通して、人は人間関係の原点を学び、豊かに成長していく。親としての学びをしたわけではない父親も、委ねられた子どもと向き合いながら、自らの少年期を取り戻していくように成熟へと向かう。人との関わりの中で人格を練ってくださる神のご計画の原点は、家庭であり、神の恵みと愛だ。両親を敬うことには、祝福の約束が伴う。それは神から与えられるものだ。逆に言うならば、神との関わりの豊かさが人との関わりの豊かさに繋がっていく。父親もまた、神の前にへりくだり、委ねられた子ども達を、主の教育と訓戒によって育てていく。それは自 らを育てることであり、神と真実に向き合うことから生まれてくる。神の前に共に成長していくそこに家庭の祝福の素晴らしい恵みがある。共に心から父親に感謝し、父なる神を愛し従う者とされたい。

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20150614 『神の力に支えられる宣教師と信仰者』使徒13:1-3, Iコリ ント2:1-5 松村隆師

『神の力に支えられる宣教師と信仰者』 

 「そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」              <使徒の働き 13:3>

 時々私たちキリスト者は、自分の恵みのために礼拝に来ます。礼拝は牧師の説教を聞きにくる所だと考え、賛美歌は適当に歌い、お祈りも心を合わせず他の事を考え、献金も適当に捧げて、結果として「肝心」のみことばすらも、すぐに忘れてしまったりする。
私も、かつて宣教師として礼拝イコールみことばという考えを主に正されたことがあります。信仰の成長段階でそのような考えを持っていても、私達は、聖書のみことばから、聖書が示す礼拝の仕方を真剣に求めて行く必要があるのではないだろうか。
アンテオケ教会は、主を礼拝して、断食をしていた。彼らは、礼拝の中で、真剣に主にみこころを求め祈っていたことが分る。聖霊が、バルナバとサウロを主の特別な働きのためにつかせなさいと言われた。使徒の働きの16章10節から類推すると、きっと、誰か一人にそのようなみことばが語られ、その証しを聞いた教会の皆が神様のみこころと確信したか、パウロとバルナバに御霊による宣教のビジョンが明確にされ、その証しを聞いた教会がみこころと確信して二人を送り出したかでしょう。
御霊の押し出しによって力強く教会から送り出されたパウロとバルナバは、御霊と主の力を頼りに宣教したのです。そして、御霊と主の力を頼りに生きるキリスト者をあちこちに生み出して行ったのです。

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20150607 『キリストを証する恵み』ヨハネ15:18〜27 岩井牧師

『キリストを証する恵み』 

 「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。あなたがたもあかしするのです。初めからわたしといっしょにいたからです。」                   (ヨハネ 15:26,27)

イエス・キリストの弟子としての歩みは、豊かな祝福に包まれている。しかし、それは物事が思うように進むことだけではない。思うようにならないことに中にさえ、主の祝福はあり、恵みと憐れみによって私たちは生かされ、また成長が与えられていく。
主ご自身がこの世から憎まれ、迫害を受けたように、キリストに従う者も苦難を通ることがある。しかし、それをおそれる必要はない。主はそのことを幾度も語られていたし、主は私たちの苦しみをよく知り、理解し、受け止め、また共に歩んでくださる。そして、私たちはその苦難の中でこそ、主に心から信頼することを教えられ、自分の無力さを越えた主の祝福を経験していく。なぜなら、すでに私たちはこの世の者ではなく、主の尊い血潮によって買い戻され、贖い出された者だからだ。主の恵みと祝福は、私たちの上に豊かに注がれている。そして一人ひとりとともに、御霊なる神がのぞみ、主を証してくださり、私たちをも証人として整え、変え続けてくださる。
実を結ぶことが約束されている私たち、刈り込みをも与え、我が子として扱ってくださる主の祝福と恵みを感謝したい。

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20150531 『高慢と誘惑』 サムエル14:25-33 岩井牧師

『高慢と誘惑』 

「それで、ヨアブは王のところに行き、王に告げたので、王はアブシャロムを呼び寄せた。アブシャロムは王のところに来て、王の前で地にひれ伏して礼をした。王はアブシャロムに口づけした。」                     (サムエル14:33)
私たちの心の闇は深い。ダビデの長子アムノンが異母妹タマルを辱め、さらに嫌い遠ざけることによって受けたタマル自身の心の傷辱めは尋常ではなかった。タマルの実兄アブシャロムは2年に及ぶ計略によってアムノンを殺害する。しかし、ダビデはそこでも沈黙を続け、ヨアブの安易な執り成しによってアブシャロムに謹慎を命じるだけの処罰しかできない。子供達の罪の深さに対し、明確な指導ができない父の無力さは闇の大きさを示すが、その闇はさらにアブシャロムの中で深まっていく。
アブシャロムは有能で麗しい男性だったようだ。アムノン事件以降彼が受けた扱いに同情もあったのだろうか。彼が自分の闇と向き合う姿はない。父ダビデと会うためにヨアブの畑に火をつけるほどの傲慢、自己中心さを露わにする。しかし、ダビデはその彼をも取り扱えない。そこにダビデの闇があり、誘惑がある。
ついにアブシャロムは父の前に出ることを許される。表面を取り繕う敬礼と口づけが空しく描かれている。罪を罪として認めることは誰にもできることではない。誰もがその現実から逃避しようとする。しかし、聖霊に導かれる者は、主の愛を受けて、赦しを与える主の恵みと義に進んでいく。あなたはどうだろうか。

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20150524 『聖霊の導き』 使徒の働き2:〜4 藤嶋光男宣教師

『聖霊の導き』 

「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、一人一人の上にとどまった。」 (使徒の働き2:1-4)
今日はペンテコステです。ペンテコステとはどのような日なのでしょうか。日本語では五旬節と呼ばれていますが、イエス様が復活されて50日後に起こった出来事、聖霊が弟子達に下り、その日に3,000人程がイエスを信じたとされています。教会が誕生した日でもあります。
聖霊の働きは私たちにはわからないことが多々ありますが、今日の日を記念して、聖霊の働きの一つである、「導き」に関して、私たち自身が学んだこと、経験したことを分かち合いたいと思います。
「どの大学に行くのが神様の御心なのだろうか」「どのような職種に就いたら神様の御心なのだろうか」と人生の岐路に立った時、私たちはそのような疑問を持つことがあります。「神様の御心から外れたら大変なことになる。ちゃんと御心を知らないと人生がめちゃめちゃになる。」と恐れて、一歩出す事ができなくなる方もいらっしゃるでしょうか。
1)思いが与えられる。
2)御言葉から示される。
3)聖霊は状況を通して語って下さる。
4 )ドアが開かれたり、閉ざされる。

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20150517 『交わりの広がりと使命』 コリント8:16-24  岩井牧師

『交わりの広がりと使命』 

 「そればかりでなく、彼は、この恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会の任命を受けたのです。私たちがこの働きをしているのは、主ご自身の栄光のため、また、私たちの誠意を示すためにほかなりません。」      (コリント8:19)
藤嶋宣教師達が、いよいよ被災地の支援へと向かおうとしていらっしゃる。私たちもまた、世界の悲しみを担う方々のために祈りささげ、特に心、さらに深みにある霊的な満たしを祈りたい。
 エルサレム教会の窮乏を知らされ、それを助けるためにパウロ達に与えられた使命は、そのために各地からの献金を集め、それを届けていくことだった。マケドニア教会を初め、多くの教会が、それに賛同していった。そしてパウロはコリントの教会にもそのことを理解し、支えてくださるようにと願う。私たちにとって献げることは決して簡単なことではない。当時の人々もまた、いやさらに困難を覚えたであろう。しかし、極度の貧しさにもかかわらず喜んで愛を現した彼らの姿に教えられたい(2v)。パウロの働きのための協力者、同労者を主は起こしてくださった。テトスがそして、もう二人の人がその働きを担っていく。名も記されていないが、自ら進み出て各地へと遣わされていく人たちだ。そして主の教会は、喜びと感謝を持って応答し、愛を現していく。
 私たちも委ねられているものをどう用いるか、そこには大きなチャレンジがある。どこに宝を積むかが問われるからだ。しかし、私たちの思いを越える祝福が与える喜びの中にある。

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20150510 『愛によって実を結ぶ』 ヨハネ15:10-17  岩井牧師

『愛によって実を結ぶ』 

 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」
(ヨハネ15:12,13)
今日は母の日、敵味方問わず負傷兵の衛生状態を改善するために愛を表し、女性達をリードしたアン・ジャービスへの娘の感謝が起源だとされる。私達が愛を最初に学ぶのは、母の愛の姿ではないだろうか。私達の誕生の時から、成長に応じてあらゆる犠牲を払って、私達を育んで下さったことを感謝したい。
また、真の愛の起源は、神の愛にある。神は私達を創造し、私達が豊かな実を結ぶようにと、豊かな愛を注ぎ、ひとり子イエス・キリストを私達に与えて下さった。キリスト自身、神のあり方を捨てて人としてこの地上に来られ、私達の罪の身代わりとして、十字架の死へと向かって下さった。そのいのちがけの愛は、私達に無償で与えられている。それは神が私たちを友として下さる恵みでもある。そして私達には、互いに愛し合うことを主は期待していて下さる。私達の内側からは、真の愛は出てこない。父母の愛とて完全ではない。神の愛を受け取って初めて、私達は愛を学び、愛し合う者、赦し合う者へと変えられていく。

愛することが出来ない限界や闇を正直に認め、愛を学び続けたい。未熟で愚かな私達を主は永遠の愛で愛して下さっている。

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