月別アーカイブ: 8月 2015

20150816 『主の権威と従順』コリント10:1-19 岩井牧師

『主の権威と従順』 

「私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。」 (コリント10:5,6)

 どんな共同体にあっても、一致が重要であると共に、その一致こそ困難であることを教会の現実の中でも教えられる。
 それは、初代教会でも例外ではなく、コリントの教会は特に様々な問題があった。その要因の一つは主が建てたパウロの使徒性や権威を認めない人々がいたからだ。問題の根底には高慢と主への不従順があった。主の権威を具体的に認めることは容易ではない。私たちもどこかで目に見える事柄によって、物事を判断してしまうことがあるからだ。パウロにとってコリントの教会の現実は痛みであった。しかし忍耐と祈り、また愛と恵みによってパウロは彼らに語り続ける。そして徐々に教会は変えられ聞く耳を持つ人々が増えてきたのだ。なお頑なな人々はいた。しかし、彼らもまた、やがては主に従うようになることをパウロは期待し、諦めることをせず関わり続けていく。主の厳し さを彼らが味わうことのないようにとの配慮と願いが根底にある。
 私たちもまた、ひとりひとりが、主の前に立たなければならない時が来る。心から主の権威を認め、従順な信仰を培っているだろうか。自分の思いや考え、損得等を優先してしまいかねない闘いは常にある。主に心から従う者とされたい。

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20150809 『主にある一致と恵み』ヨハネ17:1-19 岩井牧師

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20150802 『イエスを知る平安と勝利』ヨハネ16:25-33 岩井牧師

『イエスを知る平安と勝利』 

 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」               (ヨハネ16:33)

 私 たちの人生には、様々な葛藤があり、闘いがある。しかし、その全ての苦しみを主イエスが理解してくださるばかりではなく、主ご自身がさらに深く大きな痛み を私たちのために通ってくださるのだ。そこにこそ私たちの慰めと力がある。私たちの友なる主が、私たちの心を理解し、真の平安と力を与えて下さるからだ。 しかし、その主の平安と勝利に私たちが与っていくために主が通られた痛みと苦しみを私たちは決して忘れてはならない。
 最 後の晩餐の席で語られた主のメッセージの一つ一つを、弟子達は、十分に理解することはできなかったであろう。しかし、後に彼らに送られる聖霊なる神によっ て、真理へと導かれていく彼らは、主が語られた平安と勝利の意味をさらに深く受け取っていくことだろう。そして、彼らもまた、他の人への愛の故に、福音を 伝える使命の故に、さらなる苦難と痛みへと向かっていくことになる。私たちの人生も同様の歩みがある。この地上で苦しみがなくなることはない。却って強く なることもある。しかしそれを遙かに越える主の平安と勝利を、私たちも苦難の中で豊かに味わっていく。そして他者のために痛みを引き受けていく喜びをも主 は私たちに与えてくださる。主の十字架を仰ぎ見、進み行こう。

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20150726 『勝利者となる人』ローマ8:28−39 リーズナー宣教 師

『勝利者となる人』 

 「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」        
                           (ローマ8章37節)

苦しみにも死さえにも、私たちは克服されません。神は私たちを愛し、完全な勝利を与えてくださいます。
  ローマ8章には、主がなさる力ある業と、これ以上もない約束してくださるすばらしいことがあります。特に28節は、大きな約束のことばです。「神はすべてのことを働かせて益としてくださる。」とありますが、この「すべてのこと」には、様々な困難、病気、災い等が含まれています。神がすべてを益としてくださるのは、神を愛する人のためにだけです。
 私たちは、全身全霊で神を愛すべきです。しかし、神に対する私たちの愛より、私たちに対する神の愛は、はるかに高くて、広くて、深くて、大きいものです。神の愛から私たちを引き離すことのできるものは、何一つありません!(38-39節)
 全能の神には、大きなご計画があります。神を愛する私たちは、そのご計画に従って召されているのです。主なる神は、不思議で驚くべき方法で、望まれるままにすべてを成し遂げられます。大いなる神の愛や、力ある働き、そして確実なご計画によって、私たちに最終的な勝利が与えられます。それゆえ、今現在、全き救いの確信を持つことができるのです。

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20150719 『与える祝福と溢れる感謝』Ⅱコリント9章 岩井牧師

『与える祝福と溢れる感謝』 

 「神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。」
(Ⅱコリント9:8)

パ ウロは主の教会を建てあげていく中で、様々な必要が各地にあり、霊的なニーズだけではなく、具体的な必要をも満たしていくことの重要さを教えられた。特に 彼の使命を理解せず、関係が必ずしも良くなかったエルサレム教会の経済的な必要を知る中で、キリストの教会が、互いに助け合い、仕え合うことの重要性を主 から示され、愛の献金のわざを行うようにと各地でチャレンジしていったのである。
そ の愛のわざに応え献げていったのは、貧しい教会だった。極度の貧しさにもかかわらず、喜んで献げた彼らの信仰の姿勢は、主の愛の満たし、喜んで与える祝 福、自らをも献げる献身の証であり、彼らの祈りを通して、主の教会は力強く建てあげられていったのである。そして、多くの問題を抱えていたコリントの教会 が、主のみ言葉と刈り込みを通して、豊かに成長し実を結び続けていく教会へと変えられていく。私たちにとっても、困難な信仰の戦いの一つはこのささげるこ とではないだろうか。すべてが主のものであるとの事実を理解し、どれほど自分たちが恵みと愛を受け、支えられているかを覚えていくときに、私たちは最も大 切にしているものさえをも主の栄光のために正しく用いていくことができる。真の所有者である神様に信頼して歩みたい。

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20150712 『悲しみから喜びへ』 ヨハネ16:16-24 岩井牧師

『悲しみから喜びへ』 

 「あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。」                      (ヨハネ16:22)

 主イエスが、この地上に来られたのは、私達に真の喜びと平安、救いといのちを与えて下さるためだった。しかし、その主の救いのわざを世は理解せず、受け入れることができない。
それゆえ自らの闇を認めようとせず、まことの光である主を憎み、十字架に架け、殺そうとする。その全てをご存じで主は苦しみに向かわれ、人々の拒絶と死に向かわれ、弟子達との別れを受け入れられる。それは弟子達に悲しみを与えるが、その悲しみと苦しみは、必ず喜びといのちへと変えられていく。
その喜びは、主の復活のいのちによる勝利によるだけではなく、産みの苦しみがもたらすいのちに表されるように主の再臨の輝きと勝利がもたらすものだ。だからこそ、その喜びは決して奪い去られないものであり、永遠の勝利をもたらすものなのだ。
私達には、この永遠の希望が約束されている。その素晴らしさを私達はまだ十分に理解できていない。それゆえに、悲しみにとどまってしまいがちだ。しかし、キリスト者に用意されている恵みと祝福は何ものにも代えられない。今どのような悲しみや苦難を通っていようとも、そこにも主の愛と恵み、臨在と平安が溢れている。そこでこそ真の力と喜びを受け取っていく事が出来る

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20150705 『聖霊なる神によって』ヨハネ16:1-15 岩井牧師

『聖霊なる神によって』 

 「その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」   (ヨハネ16:13,14)

私達が神を選んだのではなく、神が私たちを選んでくださり、恵みと救いに与る者として下さった。その神の憐れみと祝福は私達の人生を内側から変えて下さる。しかし、私達はその変えられていく歩みの途上にいることを忘れてはならない。
苦難や迫害や葛藤や涙を私達は主にあって経験していく。主が苦難を通られたように、私達の歩みも苦難と無縁ではない。しかし、私達の内に住み、私達に問いかけ、罪を示し、主の真理へと導いて下さる聖霊なる神が私たちを内側から変え続けて下さるのだ。それは主にある真理に基づいている。感覚でも、経験でもなく、みことばの真理とキリストの栄光を表す聖霊なる神が私たちの心と霊を取り扱い、私達の人生を内側から変え続けて下さる。私達は真理なる御霊に自らを明け渡し、委ねていくことが出来る。罪を示され、罪を心から認め、信仰を与えられ、主への献身を深めていく私達の歩み、その歩みの中心は、私達の何かではなく、聖霊なる神の働きであることを忘れてはなら ない。聖霊が私達のためにうめき、とりなし、神のわざが私達の人生に表されていく。尚私達を明け渡す歩みへと踏みだそう。

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