20150816 『主の権威と従順』コリント10:1-19 岩井牧師

『主の権威と従順』 

「私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。」 (コリント10:5,6)

 どんな共同体にあっても、一致が重要であると共に、その一致こそ困難であることを教会の現実の中でも教えられる。
 それは、初代教会でも例外ではなく、コリントの教会は特に様々な問題があった。その要因の一つは主が建てたパウロの使徒性や権威を認めない人々がいたからだ。問題の根底には高慢と主への不従順があった。主の権威を具体的に認めることは容易ではない。私たちもどこかで目に見える事柄によって、物事を判断してしまうことがあるからだ。パウロにとってコリントの教会の現実は痛みであった。しかし忍耐と祈り、また愛と恵みによってパウロは彼らに語り続ける。そして徐々に教会は変えられ聞く耳を持つ人々が増えてきたのだ。なお頑なな人々はいた。しかし、彼らもまた、やがては主に従うようになることをパウロは期待し、諦めることをせず関わり続けていく。主の厳し さを彼らが味わうことのないようにとの配慮と願いが根底にある。
 私たちもまた、ひとりひとりが、主の前に立たなければならない時が来る。心から主の権威を認め、従順な信仰を培っているだろうか。自分の思いや考え、損得等を優先してしまいかねない闘いは常にある。主に心から従う者とされたい。

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1件のコメント

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20150816 『主の権威と従順』コリント10:1-19 岩井牧師」への1件のフィードバック

  1. 石橋秀則

    教会は神聖な場ですね。神に礼拝し、祈り、そして、心からの賛美を捧げ、み言葉を牧師の口を通して聞くことができる、と思っています。然し私の経験した教会は残念ながら、それとは離れた礼拝でした。賛美と言いながら、ちまたで歌われている曲を牧師が得意満面で歌い、メッセージはそこそこというものでした。かなりの教会員はそれに疑問を持って、牧師に提案をしましたが、反って牧師を批判することと取られて、教会全体が落ち着きを取り戻すまで時間がかかりました。今は少し変えられてきておりますが、このような事は教会全体では稀有なのでしょうか。

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