20150913 『神の愛と守り』イザヤ46:3-4,9-10 岩井牧師

『神の愛と守り』 
 
「あなたがたが年をとっても、   わたしは同じようにする。
あなたがたがしらがになっても、 わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。    なお、わたしは運ぼう。
わたしは背負って、救い出そう。」        (イザヤ46:4)

 少し早い敬老感謝の時を共に迎えることができることを感謝したい。私たちの今を支えていてくださる人生の先輩方の、犠牲や努力、愛の恵みの中に私たちの歩みがある。心から感謝したい。聖書は私たちに、人生の先輩、また私たちを生み育てて下さった両親や家族の方々を心から敬い、感謝し、尊敬するようにと幾度も教えている。その背後に全てを導かれる主権者なる神の愛と存在、導きの御手をも心に刻むことは重要だ。
 主の民イスラエルは、豊かな神の愛に誠実に応えることをせず、その愛を踏みにじり、主が悲しむ歩みを繰り返した。しかし、そんな彼らをも主は愛し、なお背負い、救いだし、導いて下さった。イザヤが幾度も預言した主の裁きとしての「バビロン捕囚」をも貫いて、主は彼らを憐れみ、彼らを守り、約束の地に戻し導いて下さった。そこには主の一方的で無償の愛と慈しみがある。そして、下記に記されているように主は苦しみや痛みをも共にして下さるのだ。愛の主に信頼して、人生の旅路を歩ませて戴こう。
「彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」<イザヤ63:9>

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