20150927 『真の謙遜と主の恵み』Ⅱサムエル15:24-37

『真の謙遜と主の恵み』  
「ダビデは言った。『主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。』 ダビデが、神を礼拝する場所になっていた山の頂に来た、ちょうどその時、アルキ人フシャイが上着を裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。」
            (Ⅱサムエル15:31,32)
 私たちも様々な苦難や非難の中を歩ませられることがある。
神の都エルサレムを追われるダビデの姿は、悲しみと惨めさを覚えるものであったろう。しかし、ダビデはその背後にある神の御手の真実さと憐れみを見ていた。どんな時にもダビデに従う側近達と共に、異邦人傭兵達がいたことは恵みであったろう。
 神の臨材を表す「神の箱」を持ち出すことを止めたダビデの心には、目に見える何かではなく、神の真実と愛を待ち望む信仰の姿勢が現れているのではないだろうか。
 ダビデは妻バテシェバの祖父アヒトフェルが、アブシャロムの側についたことに心を痛め、また彼の知恵に恐れさえ持っていたようだ。しかし、主の憐れみを求める彼の祈りに主は即座に答えてくださった。ダビデと共に悲しみを味わい、主の前に出るフシャイの存在はダビデにとっての「友」であった(Ⅰ歴27: 33)。その背後にはダビデの祈りをもすでにご存じであった神の愛と憐れみがある(イザ65:24)。このフシャイがダビデに伴わずにエルサレムに戻ることに神の守りと知恵があった。人のどんな知恵よりも神の真実と恵みは力強い。私たちは主ご自身に、主の恵みと愛と憐れみに信頼してどんな中をも歩むことができる。
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1件のコメント

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20150927 『真の謙遜と主の恵み』Ⅱサムエル15:24-37」への1件のフィードバック

  1. 石橋秀則

    感謝です。いつでも、どんな時でも主の恵み、愛と憐れみを信頼して歩んでまいりたいと願っています

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