20151025 『真の謙遜と主の恵み』サムエル16:1-23 岩井牧師

『真の謙遜と主の恵み』  

「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。」
                           (サムエル16:11)

 私たちは、自分の口では「主の僕です」と言うけれど、誰かにしもべの様に扱われると平静ではいられない…。ある牧師が問いかけてくれたことばを忘れることができない。私たちの心の奥にある姿は、神の前には隠すことができない。

 ダビデは息子アブシャロムに命を狙われる中、サウルの一族であったシムイから呪いのことばを浴びせかけられた。それは誤解に基づくものであった。しかしダビデはシムイ殺害を申し出た甥のアビシャイをいさめ、その言葉の背後に主がおられること、そして自らは「血まみれの男」であることを主の前に認めていることを証した。我が子にさえ命を狙われる自分がサウル家からのろわれるのは当然だとしたのである。ダビデの主の前の謙遜をここに見ることができる。ダビデはのろいを善に変えてくださる主の憐れみに希望をおいたのである。そして後にシムイは自分の過ちを認めることになる(19章)。主はへりくだる者に豊かな恵みを与えてくださる。また、主の恵みは、この後フシャイを通して、ダビデに豊かに与えられていく。私たちもまた、いつも主の前に自らを置き、へりくだり悔い改めの実を結ばせていただこう。

2件のコメント

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20151025 『真の謙遜と主の恵み』サムエル16:1-23 岩井牧師」への2件のフィードバック

  1. 石橋秀則

    自分を低くすることは、言うのは簡単です。時々、〇〇では自分は上手だとか、優れているとか思っている時があって、ヒヤッとなります。また、罪を犯したと反省しております。

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