20151108 『大祭司の庭で』ヨハネ18:12-24 岩井基雄牧師

『大祭司の庭で』 

「イエスは彼に答えられた。『わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。』」       (ヨハネ18:20-21)

 私たちは権威的な立場に対して、弱さを持つ。自分の立場が危うくされるような場面では真理を薄めてしまう弱さを抱える。
 ユダヤ当局者、ローマの権威を持ってキリストが捕らえられたとき、キリストのことばに怯んだのは権威を持つ側だった。主の主権の前では、どんな権威も色あせる。当時の大祭司カヤパの舅アンナスは未だに権威を持っていた。予備審問と考えられるその質疑の中でも、主はご自身の主権を明確に示された。
 一度は蜘蛛の子を散らすように逃げた弟子達の中で、大祭司の親戚であったヨハネとペテロは裁判を見守るために、大祭司の庭へと入ってきた。しかし、門番のはしためから主との関わりを問われると、即座に否定してしまう。私たちの弱さの姿もここに描かれていよう。しかし、私たちと神とをとりなす真の大祭司は主イエス・キリストご自身であった。主の権威と愛によって真の贖いととりなしはなされる。そして主は弱く愚かな私たちをも主の祭司として用いられるという。真の大祭司の庭には愛と希望がある

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