20151115 『神の御手の中で』イザヤ62:1-3 岩井基雄牧師  

『神の御手の中で』 

「あなたはの手にある輝かしい冠となり、あなたの神の手のひらにある。王のかぶり物となる。」        (イザヤ63:3)

 今日は、召天者合同記念礼拝です。私たちより少し早く地上の生涯の使命を終え、神様のもとに戻られた方々の優しさや笑顔、温もりを心に刻んで私たちも日々を歩ませて戴きたい。
私たちの人生はどこに向かっているのでしょうか。どこを目指し、何を目的として進んでいるのでしょうか。自らの歩みを振り返り、永遠の時を心にとめて、心静める時を持ちたいと願います。
神の民イスラエルの人々は、多くの問題を抱えていました。天地万物を創造された神を知り、また神に愛されていることを知りながら、その愛を受け止めようとせず、自分中心の歩みを重ね、神に背く道を選び続けてしまったからです。それゆえ神は彼らを敵国へと引き渡され、悲しみの中を歩ませられました。しかしそれこそが、彼らが再び神の愛を受け取り、神と共に歩むための招きでもあったのです。悩み行き詰まることは私たちにとって、心に響く真理や愛への渇きに気づく恵みともなるのです。
問題や弱さ、罪を抱えた神の民を、神は輝かしい冠とし、神の手によって王冠としてくださるというのです。それは死を越えるいのちの輝き、罪の赦しの義の冠、永遠の祝福の冠をも表していました。どんな人生の闇を歩むときも、神の愛の光は私たちを招き、祝福と喜びの人生へと変えてくださいます。そのために、救い主キリストは十字架にかかり、よみがえって下さったのです

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