20160131 『たましいを買い戻す神』 嶋田博考総主事<聖書同盟>

『たましいを買い戻す神』 

 この詩篇の作者である信仰者は、すべての人は聞きなさいと語り始めます。この信仰者は、この世では人の間に格差があることも知っています。「富」(6節)と同じ意味で、「財産」(6,10節)と訳されている語は「ハイル」という語です。力さらに軍事力を表すことが多いですが、ここでは経済力を表します。
その上で、すべての人に共通し、平等におとずれる死の問題を語ります。人はだれも、自分や自分の大切な人のためであっても、神に払う(直訳:与える)贖いしろを持ち合わせていない、と言います(7節)。このことに関して、人は力なく、全くの絶望です(8節)。ダビデは23篇で、主が羊飼いであってくださる恵みをうたいました。恐ろしい皮肉ですが、14節はそれとは全く反対です。死が羊飼いとなるのです。
 「しかし」と、力強く希望が告白されます(15節)。「私には、たましいを買い戻すことができる唯一の方、神ご自身がおられます」という告白です。「悟り」が最も重要です(20節)。この詩篇の作者は、自分で悟ったことではなく、神さまから教えられ、悟らされたことを語っています。全体の序にあたる4節で、自分が知恵を語り英知を告げると言いながら、その自分も「耳を傾ける」者であると言っています。私たちの教会が大切にしている聖書信仰がここにあります。
 神は買い戻される。では「どのようにして」という疑問が残ります。「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」(テモテ2・6)私たちはこの聖書のあかしに立っています。

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