20160228 『ダビデの勝利と悲しみ』サムエル18章 岩井牧師

『ダビデの勝利と悲しみ』  
「アブシャロムはダビデの家来たちに出会った。アブシャロムは騾馬に乗っていたが、騾馬が大きな樫の木の茂った枝の下を通ったとき、アブシャロムの頭が樫の木に引っ掛かり、彼は宙づりになった。彼が乗っていた騾馬はそのまま行った。」
                       (サムエル18:9)
 ダビデの息子アブシャロムの謀反は、終焉を迎える。フシャイのアブシャロムへの提言によって、ダビデには迎撃ために十分な時を用いることが出来た。彼は知恵を持って、全部隊を3つに分け、自ら先頭に加わることを申し出た。かつての反省があるのであろうか(サム11:1)。しかし、民はそれを留め、ヨアブ、アビシャイ、イタイ達に戦いを委ねることとなった。委ねる重要さがそこにある。ダビデは彼らにアブシャロムにも寛大な処置を求めた。
 聖書は、この3隊の活躍以上に、森がアブシャロム軍を混乱させ、勝利へと導いたことを記し(8v)、アブシャロムも木に捕らえられる。主の不思議な御手の中にあって戦いの勝敗が決していく。自慢の髪を木に捕らえられたアブシャロムを発見したのは、ヨアブのしもべであった。彼はダビデの命令を覚えており、その事実をヨアブに報告した。ヨアブはその命令に背き、アブシャロムを殺害し、戦いの終焉を告げる角笛を吹き鳴らした。叔父ダビデの思いよりも、神の民の思いや勝利を優先したのだろうか。
 ここには、戦いの勝利とダビデの悲しみの両方が記されている。自分のいのちを狙う我が子に勝利する王と、その死を悼み悲しむ父の姿である。主は私達に何を語っておられるであろうか。人としての思いと神の思い、人の計画と神のご計画、その両方の狭間で私達は生きる。主の喜びを求めたい。

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