20160403 『主の平安に生かされて』ヨハネ20:19-31 岩井牧師

『主の平安に生かされて』  
「イエスはもう一度、彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。』」                     (ヨハネ20:21)
 死からよみがえられ勝利された主は、人々を恐れ、隠れていた弟子達の集まる中に来てくださった。それは彼らに真の平安を与え、彼らを遣わすためだったのだ。主が人を用いられるとき、主はその人を自らの限界と向き合わせなさる。自分の弱さを受け止め、そこで主と出会い、主の息吹を再創造の祝福として受け、私たちは力づけられ遣わされていく。
 トマスは、熱い主の弟子だった。いのちをかけて主に従うことさえ語り、他の弟子達にも促している(ヨハネ11:16)。主の行く道について尋ねたのもこのトマスである(同14:5)。復活の主が弟子達に現れてくださったとき、彼はそこにいなかった。他の弟子達が主との出会いのすばらしさを語る中でも、彼はそれを受け止めることができなかった。そして自ら主を経験しなければ信じないと豪語したのだ。熱さの故の失望の深さだろうか。しかし、彼は他の弟子達と共にいることをやめなかった。その彼に会うために、復活の主は再び弟子達のただ中に来られた。主の深い愛は、一人一人に注がれている。そして主は彼の弱さを覚えながら、彼を信仰へと招かれた。トマスは「私の主、私の神」と恵みの信仰を告白したのだ。自らの弱さを通してのみ出会える祝福がある。主はあなたの全てをご存じで、あなたを招き、遣わされる。
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