20160501『信仰の原点に戻る』 ヨハネ21:1-14 岩井牧師

「イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。
』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げるこ
とができなかった。」
<ヨハネ21:6>
先週のジェームス・フーストン師のセミナーは、日本に生かされているキリスト者と
しての原点を確認し、そこに生きることへの励ましを受ける時だった。様々な文化を私
たちは背負っている。それを認識し、そこに生き、さらにそれを越えて歩みたい。
主の十字架によって打ちのめされ、主の復活によって励ましを受けた弟子たちではあ
ったが、まだ立ち上がることはできなかった。彼らは自分たちのかつての仕事に戻って
しまったかのようだ。彼らの混乱と失意の大きさを思わされる。
しかし、主はその彼らに寄り添われる。そして彼らの夜通しの苦闘もご存じで、彼ら
のために焚き火を用意され、そして彼らを原点に招かれた。それは失意を深めた彼らに
とってどれほどの励ましと慰めになったことだろうか。漁師であった自分の力ではどう
することもできなかった現実の中で、主の言葉に従ったときの大漁の恵みに彼らは主と
の再会を経験していく(ルカ5章)。
私たちも幾度か、「原点」を確認する必要がある。救いの原点、愛の原点、礼拝の原
点、奉仕の原点、賛美の原点、そして教会の原点などだ。その全てにおいて主は私たち
を招かれる。そして置かれた場、遣わされた場で、主は愚かな私たちを恵みと憐れみの
器として用いて下さる。幾度も原点に戻り続けよう。

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2件のコメント

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20160501『信仰の原点に戻る』 ヨハネ21:1-14 岩井牧師」への2件のフィードバック

  1. 石橋秀則

    弟子たちの失意とは次元が違うが、わたしは所属している教会のあり方に失望して、教会を変わろうかどうか悩んでいます。懇意にしていた兄弟姉妹との別れも辛いので、逡巡するところもあります。
    何が最善なのか、悩んでいます。

    • MI

      それは、本当に辛い痛みですね。主が最善を行われますようにお祈りしています。

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