20160508『母の愛に生かされて』詩篇139:11-18

「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてくださ
い。」           <詩篇139:24>
母の日の喜びは、感謝する私たちも、感謝されるお母さん達をも包みます。存在を感謝
し、それを与え合う関係は、お互いを力づけ、励まして行くからです。聖書が語る神を
知る人たちは、全てを創造された神様の愛を知っています。神様が母の胎に私たちを置
かれました。しかも私たちの存在は親の思いや理想ではなく、神様の素晴らしい御手の
中で、恐ろしいほど素晴らしい存在として創られたのです。
しかし、私たちはその神様の愛を認めず、全てをご存じであるという神様から、逃げた
いと願うことさえあるのです。すべてを知られているという事に恐怖を覚えたり、自分
の愚かさや罪深さを突きつけられるような思いがするためでしょうか。この詩篇の作者
であるダビデもまた、同じような思いを抱えたようです。しかしどこに行ってもともに
おられる主の臨在に触れ、彼は自分の内側にある闇の心をも告白し、祈るのです。そし
て最後には、全てをご存じであるという神の前に、自分の全てを知って欲しいと祈って
いるのです。それは全てをご存じでありながら、なおも愛して下さる神様の愛に生かさ
れるという歩みへの前進だったのでしょう。
 そしてとこしえの道に導いて欲しい、平安と慰めと勝利といのちの道へと導いて欲し
いと心から願うのです。その祈りを私たちも、日々祈ることができます。毎日、私たち
は永遠を目指して、永遠のいのちを心に留めて祈り求め、歩みを進めていくことができ
るのです。

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