20160515『福音宣教の恵み』ローマ1:8〜17

「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるす
べての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓
示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によっ
て生きる』と書いてあるとおりです。」   <ローマ1:16,17>
 今日は、ペンテコステ礼拝で、旧約聖書の五旬節の祭りに相当する。モーセを通して
律法が付与された時とも重なり、大麦の収穫を終え、いよいよ小麦の収穫となるため「
刈り入れの祭り」(出23:16)、「初穂の日」(民28:26)とも呼ばれている。
 新約の時代においてペンテコステは、キリストの教会の誕生の日であり、主の弟子達
全員に聖霊が下り、彼らが他国のことばで「神の大きなみわざ」(使徒2:11)が語られた
ときである。人間の高慢さが裁かれことばが混乱させられたバベルの裁きが、その言語
の違いの豊かさや文化の差異を越えて、主の福音と愛に包まれたときとも言えるだろう
。豊かな実りと共に、主のみことばがひとりひとりに与えられ、キリストの教会が力強
く前進していく一歩となったのだ。「福音宣教」を主の教会は使命とする。そしてその
福音に生かされ、福音を宣べ伝えていく喜びをパウロは、このローマにある主の教会の
人達に、そしてそれを読む私達に分かち合っている。「福音を恥とは思わない」そのこ
とばは、私達へのチャレンジでもある。確かに主に従い歩むことには闘いがあり、時に
は迫害や痛みを伴う。しかし、私達はこの福音を心から受け取り、それを分かち合うよ
うにと招かれているのだ。そして多くの人の人生や心は、この主の愛と福音を渇き求め
ている。
 主の教会に連なる私達、もういちど福音の豊さに生かされ、信仰から信仰へと進ませ
て戴きたい。愛の主はともにおられる。

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中