20160522『主の恵みを拒む時』ローマ1:18〜32

「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時から
このかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余
地はないのです。」
<ローマ1:20>
 天地万物を創造された神の永遠の力と神性は、弁解の余地がないほど明確に示されて
いる。また人間の罪悪感や倫理観の背後にも神の存在を認めることができよう。しかし
、罪深い私たちには、心のどこかで神を否定し、認めようとせず、良心の語りかけにも
耳を傾けようとしない頑なさがある。その背後には、高慢があり、自らを神としようと
する傲慢があるが、その問題の大きさを感じながらも、それと対峙することは決して容
易ではない。
 聖書は罪の結果を明確に語っている。主の恵みと愛を拒み続ける時に、神の裁きがあ
ることを預言者を通し、御言葉を通し語り続けておられる。それが神の愛と憐れみの故
であることを私たちは忘れてはならない。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを
受けることが定まっている」(へブル9:27)とあるように、私たちは皆、主権者なる神の
前に立たなければならない。私たちはその用意ができているだろうか。永遠への備えは
「今」を生きることにつながる。天にある希望、新天新地のいのちに生きるキリスト者
は、その恵みと祝福を先取りして、「今」を真実に誠実に生きるものとされ続けていく
のだ。日々の歩みの中で主は語りかけておられる。愛と恵みと真実をもって、私たちに
語りかける主の御言葉に心をとめ、罪を心から認め、悔い改め、変えられ続けていく祝
福を味わう者とされ続けたい。主はあなたを待っておられる。

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