月別アーカイブ: 6月 2016

20160626『知恵と恵み』第二サムエル21

「ダビデはギブオン人たちに言った。『あなたがたのために、私は何をしなければなら
ないのか。私が何を償ったら、あなたがたは主のゆずりの地を祝福できるのか。』 …
その後、神はこの国の祈りに心を動かされた。」      <サムエル21:3,14>
 私たちが次世代に受け継ぎたいことは何だろうか。また何は受け継いでほしくないと
願っているだろうか。そこに私たちの価値観が現れる。親から子、子から孫へと恵みの
バトンを渡ししたい
 しかし、私たちが渡そうとするものは、全て恵みにつながるものとは限らない。この
サムエルの21章からは時代背景が明確ではなく、20章から続いているわけでもないよ
うだ。しかしダビデは国に飢饉が訪れた時、その原因を主に求め、主の求めに従ってい
く必要があった。私たちの真の知恵は主を正しく畏れることにある。その背景にサウル
の罪があったことには、多くを考えさせられる。人の罪、特にリーダーの罪の影響の大
きさだ。主の前に誓約されたものをどのように順守していくのか、ギブオンに騙されて
結んだ誓約であってもその真実さが問われるのだ。
 ダビデは主の求めに誠実に応じ、またヨナタンとの約束をも果たしていく。彼も弱さ
の塊であった。しかし主の前を真実に歩む回復の歩みは、主の恵みを受け取ることにつ
ながっていく。その背景には私たちには理解が難しい死の問題があった。しかし私たち
には分かりえない主のご計画があるのだろう。私たちは何よりも主は国の祈りと叫びに
心を動かされ、事を行われるという恵みと憐みに心を留めたい。そして主に真実に従い
たい。

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20160619『父なる神と共に歩む勝利』哀歌3:22〜33

「主こそ、私の受ける分です」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。
主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。主の救いを黙って待つ
のは良い。」
        <哀歌 3:24-26>
 父親の存在は、私たちに力を与える。特に苦難の中を通る時、父親の姿を思い出し、
励ましや内なる力を受ける人は少なくない。多くを語らなくても、その背中は私たちに
人生の苦難を生き抜く姿勢や忍耐を物語るのだ。
 この哀歌は、イスラエルが苦難と破壊の悲しみを通ろうとする中で、詠われている。
目の前の現実や苦悩の中にあって、この預言者は私たちに神に目をとめること、父なる
神にこそ、真の平安と希望があることを促し導いている。人間の力には限界があり、弱
さがある。しかしその中にあってこそ、真に父なる神により頼む信仰は私たちに大いな
る恵みと力とともに静けさを与えるのだ。父親の存在の力強さは、その静けさにあると
も言えるだろう。黙する中で、見るべきことを見、悟るべきことを悟ろうとする姿は私
たちにも静けさへのチャレンジを与えていくのだ。
 父親とともに歩む子供たちの姿が聖書にもしるされている。最も興味深いのは、アブ
ラハムとともに歩むイサクであり、父なる神と共に十字架に向かうキリストであろうか
。苦難に向かう、痛みに向かう。しかし、その心の中には、神への信頼、そして従順、
へりくだりと待ち望みがある。そこにこそ私たちが知るべき勝利の姿があるのだ。勝利
は結果ではない。私たちの心の中からはじまるプロセスなのだ。そして主への信頼は私
たちを勝利に導く。

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20160612『神の慈愛によって』ローマ2:1-16

「神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容
とを軽んじているのですか。…神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお
与えになります。忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、
永遠のいのちを与え」             (ローマ2:4,6,7)
私達は日々の生活の中で、様々な怒りや痛みを抱える。理不尽な対応をされたり、不
公平な扱いを受けるときにそれは顕著になる。しかし、私達の主は、不公平なお方では
ない。私達の心にあるものや行為に従って報いをお与えになる方だと聖書ははっきりと
語られる。主は決して侮られる方ではない。
また、それと共に全てのことにおいて主権を持っておられる主は慈愛に満ちた方だと聖
書は証している。すなわち失敗や罪を重ねる私達に、主は恵みと愛を注ぎ、私達を悔い
改めに導いてくださるのだ。その背後にある主の慈愛と忍耐と寛容を決して軽んじては
ならない。主の慈愛に生かされる歩みは、自分の正しさや強さを示したい欲求や願いの
背後にある自分の愚かさを認め。高慢な罪を告白し、主の憐れみがなければ生きること
が出来ない自分自身を認め、主の溢れる恵みと愛の中を生かされていくことだ。その歩
みこそ、信仰の歩みといって良いだろう。
そして主は信仰に立ち忍耐を持って善を行い、主の栄光と主の誉れとけっして朽ちるこ
とのない真の宝を天に積もうとする者に、永遠のいのちと祝福を豊かに注ぎ与えてくだ
さるのだ。私達は真の主権者である神を心から畏れ、敬い、主のみことばと恵みの律法
に心を整えられ続けていく必要がある。主の愛と恵み、慈愛の中を豊に、そして真実に
生かして戴きたい。

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