20160717『信仰に立つ歩み』ローマ2:17〜29

「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではあ
りません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊によ
る、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」 
                      <ローマ2:28,29>
 私たちは、さまざまなものを「誇り」とし、それに依存してしまう傾向がある。その
背後には、他者との比較によって傷ついた自己や優越性によって自分を保とうとする心
の傷や、劣等感がある場合が多い。律法学者やパリサイ人に代表されるユダヤ人たちは
、自分たちが「神の民である」という誇りにしがみついていること主イエス・キリスト
によって明確に示され、またパウロ自身がその自分の心の闇と向かい合い、そこで復活
の主と出会った。
 私たちの信仰の歩みは、柔軟で自由な歩みである。しかし、常にそれは問われ、自己
吟味され、変えられ砕かれていく必要がある。恵みの福音を信じ、キリストにあって律
法の要求を満たしている異邦人が、肉体の割礼を受けてはいないが、真のイスラエル、
神のイスラエル、すなわち、割礼を受けている者とみなされるという憐れみがここで語
られている(参考:ガラ6:15‐16)。そこには、人間の誇りがうち砕かれ、恵みとし
て「神の民」として加えられるという主の愛が表されている。そしてそこにこそ、キリ
スト者が自らの何かを誇りとするのではなく、ただ主にある愛と恵み、そして福音に生
かされることのみを誇りとして歩む 信仰の歩み、信仰に立ち続ける歩みの祝福が語ら
れている。私たちもまた、その恵みの中を豊かに生かされる者とされたい。

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