20160814『信仰によって義と認められる』ローマ 3:21-31

「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました
。どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく
、信仰の原理によってです。人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく
、信仰によるというのが、私たちの考えです。」 <ローマ3:27,28>
 私たちの生活は様々な「信頼」に基づいています。地球環境に基づく社会生活におい
ても、様々な人間関係においても、そして個人の生活においてもです。普段は意識しな
くても自分が何に信頼を置いて歩んでいるのかを考えることは重要です。
 神の民は、何よりも神に信頼することを生活の中で教えられ、親から子へと受け継が
れてきました。生活の中で、律法を基準とした神の御心に沿う歩みを具体的に問われて
きました。しかし、その原点には、神への信仰があり、誠実さが求められてきたのです
。しかし律法主義の背景はその恵みを自分の義を表すことに用いるという誘惑がありま
した。神への信頼がいつのまにか自分の行動や力に依り頼み、それを行えない人を裁い
てきたのです。「信仰によって義とされる」ことは、旧約時代から神の民に求められた
ことであり、すべてが神のものであるという主権に依り頼むことでもありました。主へ
の誠実さは常に問われながらも、私たちはどこまでも神を信頼し、神の御子にある救い
のわざの全て、憐れみの贖いのわざを自らのものとして、謙遜に受け取っていくことが
主によって求められているのです。「信仰義認」の恵みは私たちが主の前にへりくだり
、罪の自覚を深め、主の愛に生かされる豊かな人生へと私たちを導くのです。

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