20160911『アブラハムにおける信仰義認』ローマ4:1-25

「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」                      <ローマ4:19-22>
 年を重ねることは、多くのことを理解し受け取っていく人生の豊かさに繋がっていく。しかし、思いを遙かに越えた人生のチャレンジをアブラハムは、信仰を持って受け止めていったのだ。
 老齢になって子供が与えられるという主からのチャレンジは、アブラハム、またサラの信仰を揺るがせたに違いない。しかし、自分の理解や考えでは想像できない状況で、アブラハムは信仰を働かせて強め、神の約束に信頼を置き、神に栄光を帰す決断をした。自分の何かにではなく、神の約束は真実であると心から主に信頼を置いていった。そこにこそ、彼の信仰の勝利があり、彼が神の前に義と認められた要因があった。
 彼らの信仰の原点にあったのは、主の勝利への信頼だった。そしてそれはキリストの復活の勝利を信じる事への恵みへと聖書は続いていく(ローマ4:24,25)。私達が信仰によって義と認められるのも、自分たちの何かにではなく、主がなしてくださった業、主の復活の勝利に信仰の基盤をおくことによるのだ。私達は年を重ねてなお、主ご自身に信頼を置き、主の真実に生かされ、主の復活の勝利に豊かに生かされていくことができる。

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