20160918『ダビデの罪と主への礼拝』サムエル24章

「しかし王はアラウナに言った。『いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。』そしてダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。こうしてダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげた。主が、この国の祈りに心を動かされたので、神罰はイスラエルに及ばないようになった。」 <サムエル24:24,25>
 ダビデの最も大きな罪は、ウリヤの妻との姦淫、またウリヤの殺害にかかわることだった。しかし、もう一つ記されている罪は、この箇所にある「民、そして兵士を数える」ということだった。実際の王として必要に見えることが、神の主権を生きる神の民にとっては、ふさわしくないことがある。ヨアブがその適正を問う言葉もダビデには届かない。実際に兵士の数が報告されたときに、ダビデはそこにある満足の危険性と向き合ったのだろうか、主の前に罪を告白する。この罪の背後には、王の満足や高慢の罪が隠れ、そして神の怒りに繋がっていったのであろう。
 その罪の裁きをダビデは自ら、神の御手によって受けることを決断する。どんなに苦しもうと人の手によるよりも神の御手の中でを考えたのであろう。しかし、その裁きの現実は決して小さなものではなかった。王の罪の問題が、民全体に大きな影響を与える。罪を侮ってはならない。しかし、主の憐みは、ダビデに祭壇を築かせ、神への祈りと礼拝をささげることへと導く。ダビデは自ら犠牲を払い、心から主を礼拝する。この場所がモリヤと呼ばれ、神殿が築かれていくことに主の恵みの摂理を思う(歴代3:1)

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