月別アーカイブ: 10月 2016

20161023『主のすばらしさを味わう人』詩篇34:1-22

聖書は、主のすばらしさを味わうように、私たちに招きを与えてくれる。「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。」詩篇34:8a

主なる神について知識を持つことだけでは十分ではない。私たちはその慈しみ深さを味わうように促されている。
この詩篇の中に「恐怖」、「苦しみ」、「悩み」という否定的なことばがある。しかし、それに対して解決を与えるようなことばもありまる:「主が答え、救い出してくださる。」(34:4)この34篇の内容を一言でまとめている表現は19節にある:「正しい者の悩みは多い。しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」
一方、主を信頼する者に悩みが多くある。(19節)もう一方では、同じ信仰者は、良いものに欠けることはない。(10節)どういうことだろう? 私たちは、多くの場合、困難がなければ経験できない主からの恵みを、困難の中でより深く味わうことができる。私たちの近くに主がおられること、私たちの声を主が聞いてくださること、私たちを主が好まれること、そして主がよしと定められたときにその苦しみから私たちを救い出してくださること……これらすべては実にすばらしい主の恵みだ。
主のすばらしさを味わえるように、どうしたらよいだろう? 秘訣は、8節、9節、10節にあると思います。それは、(1)主に身を避けること、(2)主を恐れること、そして(3)主を尋ね求めること。私たち一人ひとり、世にあっては必ず患難がある。けれども、その患難の中で、主がご計画を働かせ、私たちに恵みを味わわせ、そして、最終的には、すべての苦しみの後で言い尽くせない喜びが待っている。

(リーズナー宣教師)

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20161016『失望に終わらない真の希望』ローマ5:1-11

「患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」    <ローマ5:3〜5>  私たちの人生には、様々な苦難がある。またこの世界の中にも苦難や痛みがいつの時代にもあり、より深まっている感もある。
 しかし、パウロが生かされていた時代のキリスト者の苦悩は、決して簡単なことではなかった。ローマによる被支配の中、キリスト者への迫害も強くなる中だった。しかし、どんな状況の中にあっても、キリストにあって神との平和を持つ者は、神の栄光を待ち望むことができるのだ。どこに目を留め、価値を置いて歩むのかは、私たちの人生に大きな違いを与えていく。主から受ける栄光から目を離さないでいる歩みは恵みと勝利へと導く。
 しかも、キリスト者は、どんな患難をも喜ぶことができる力が与えられる。それによって忍耐が生じ、忍耐を通して練られた品性が私たちの内側に築き上げられていくというのだ。私たちは自分の姿に失望することがある。主にあっても何も変わっていない、変えられていないと思うことがあるからだ。しかし、主の視点は異なる。主は私たちの内側に働き続け、私たちの内側に問いを与え続け、取り扱ってくださるのだ。そして、そのさらに内側に主にある希望が与えられていく。なぜならば、聖霊によって神の豊かな愛が私たちに注がれているからだというのだ。主の愛を受けていない人はいない。しかし、それに生かされる必要がある。状況に左右されない愛による希望が私たちに与えられているのだから

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20161009『真理に生かされる』ヨハネ2:18-29

「あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。」  <ヨハネ2:24>
 私達の内側には、様々な葛藤がある。神様に喜ばれる歩みを継続していきたいと願いながら、そうできない弱さや現実を抱えているからだ。愛を学び続けた主の弟子ヨハネは、人生の晩年にあって、真理に生かされることの恵みと祝福を様々な角度から語っている。年を重ね、多くの人々の人生を見つめ、看取ってきたであろう牧会者ヨハネの視点は、私達の人生にも大きなチャレンジを与える。私達の心はどのような思いや力によって影響を受け、動かされているだろうか。そこにある価値観はなんだろうか。
 ヨハネは、この箇所で、真理のうちにとどまることは、神のうちにとどまることだと語っている。ここにあるとどまるとは、人格的な豊かな交わりに基づく、神の愛に導かれる行動、歩みと言うことが出来るだろう。ヨハネの時代、すでに多くの偽キリストが登場し、反キリストと言われる異端や間違った教えが主の教会に影響を与えていた。どの時代にも主を否定する悪しき霊の働きは顕著にある。現代はさらに巧妙に主の教会の中にさえ、入り込んでくることがある。見極める目と洞察力を与えられ続けていく必要がある。しかし、私達もまた、間違いやすい存在であることを忘れてはならない。私達も真理から迷い出てしまうことがあるからだ。 私達は神の愛に生かされ、真実な神に導かれ、真理に生きる者へと変えられ続けていくからだ。恵みを味わい続けたい。

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20161002『世と世の欲を越えて』ヨハネ2:12〜17

 「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。」<ヨハネ2:16,17>  子供達の誕生、そして成長の姿は、私達に喜びを与え、希望を与える。家庭だけではなく教会の中にあっても、子供達を育み、愛と祈りを持って育てていきたい。
 私達の信仰も成長していくことが出来、それが主に期待されている。私達の信仰はどのように成長しているだろうか。今日の箇所の前半にある3つの呼びかけは、年齢的な段階とともに、成長の段階を考える学者もいる。罪赦された者(12)、神を全人格的に知る者(13,14)、そして悪い者に打ち勝った者(13,14)である。そして勝利の鍵はみことばにあることが明示される。私達は自分の力で、成長するのではない。日々みことばに養われ、整えられ、力が与えられていく必要は誰にでもある。
 私達の歩みは、「世」との闘いでもある。闇の支配者からの誘惑を常に受けているからだ。そして私達が世を愛するようにと誘うのだ。その闘いを戦い抜くことは決して容易ではない。しかし、罪赦され、神と救い主を知り、聖霊に導かれ続ける私達は、その闘いを主の憐れみの中で、戦い続けていくのだ。父なる神と世を両方とも愛することはできない。世を愛することは、父への愛から離れることである。肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などに留意し、勝利をすることを主は励まし、求め、また力を与えてくださる。そして世と世の欲とは、必ず滅び去ることを心に留めていく必要がある。神の御心を行い続ける者へと変えられ続けたい。

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