「私のいのちをあらゆる苦難から救い出してくださった主は生きておられる。私がイスラエルの神、主にかけて、『必ず、あなたの子ソロモンが私の跡を継いで王となる。彼が私に代わって王座に着く』と言ってあなたに誓ったとおり、きょう、必ずそのとおりにしよう。」 <列王1:29,30> 王であれ、誰であれ、人生の終わりを迎えることになる。その事実にどう備えるかを私たちは考え始める責任がある。
イスラエルにおいても、王位の継承は大きな問題であった。王制を民が求めたところから、その課題は始まっていた。王が本当に神に従うかどうか、それが国全体に大きな影響を与えていくことをこの列王記は物語る。この後訪れる王国の分裂もやはり王位継承問題が関わってくる。誰に王位を譲るのか、以上にどのように神への信頼を継承していくのか、そのテーマこそ、この列王記が私たちに問いかけるポイントと言えよう。
ダビデの四男アドニヤがダビデからの王位を自ら受けようとした背景には、ソロモンの特別な存在があった故であろう。それゆえソロモンや預言者ナタンは招待されない宴会が催される。人間的な知恵や力関係で何かを得ようとする浅はかさがここにある。思慮深さや周到な準備も皆無な衝動的な行動にさえ見える。そこに主の御旨を語り伝える預言者ナタンが立ち上がる。ソロモンが祭司ツァドクによって油注がれ、王位継承が明確になるとアドニヤにくみした者達は逃げ始める。人間的な行動は脆い。
しかし、このアドニヤにさえ、逃れの道が用意されており、彼は救いの角をつかんだ。このあとソロモンの信仰姿勢が問われることになっていく。私たちは何を継承していくのだろうか。
20161030『ソロモンへの王位継承』列王記1:22-48
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人間の思いや考えは浅く肉的です。私たちは、全ては神の御旨に従い、行動することが、求められていると思います。
自分の内側の闇を認めて、光を心いっぱいに受けとっていく必要、痛感しますよね。