20161106『キリストにとどまる』ヨハネ3:1-12

「 だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行う者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。」 (ヨハネ3:6,7)
今日はともに「子供祝福式」を祝い、また祈ることができることを感謝します。主イエスは、子供を愛されました。子供のようになることを私たちに求められたのです。それは弱さや愚かさを認める成熟であり、正しい依存を学び、自ら主に向かう招きでもあったでしょう。私たちは子供たちと共に、主の祝福に預かるのです
成熟の方向は、また清さへの渇きでもあります。キリストの清さを求め続けることは、キリストにこそ目をとめて、内なる罪との闘いを戦い抜くことでもあり、自分の罪深さを自覚し、悔い改めの日々をともに送っていくことでもあります。主の憐れみに生かされ続けていくことこそ、私たちが内側から創り変えられ、キリストに似たものへとされていく近道なのです。それは表面を飾ろうとする私たちへのチャレンジでもあるでしょう。
その日々の闘いは、キリストのうちにとどまり続けることに始まります。私たちは簡単に、自分の思いや願い、欲に魅かれて行ってしまいます。神の種が内にとどまり、みことばが私たちの心や生活に実りをもたらしていくこと、その歩みは決して簡単ではありませんが、豊かな祝福が約束されているのです。私たちは子供たちと一緒に主の御前に出て、共に主の祝福を受けるのです。

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