「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」 (ローマ5:21,22)
今日は、年に一度の召天者合同記念礼拝だ。この地上に残されている私たちと、主のもとに凱旋された方々との合同の主への礼拝とも言えよう。主のご支配に遷された方々の笑顔やその歩みを私たちは心に刻む恵みが与えられている。
死と向かい合うことは簡単ではない。しかし、私たちは先に死と向かい合われた方々を見守り、共に歩むことを通して、私たちも死すべき存在であることと向かい合い、永遠を考えてきた。メメント・モリと中世から語られてきた言葉も、私たちを永遠の世界といのちへと向かわしめる。死を見つめることはいのちを見つめることに繋がり、そこで生きる力と喜びを受けとっていくことができる。
そして、キリストは、私たちのために死に向かわれた。死と無関係の神の御子が死ぬためにこの地上に来られたクリスマスの祝いは私たちを真のいのちに招く。最初の人アダムが犯し、私たちも重ねてしまう罪の裁きを身代わりに受け、真の従順を歩まれ、私たちに寄り添い、苦しみを共に味わい、私たちに希望といのちを与えるために、主は十字架にかかってくださった。そして、永遠のいのちの存在を復活を通して力強く示してくださった。私たちもこのいのちと希望に生きることができる。そして、私たちもまた、死と向かい合いながら、共に歩む人々のいのちと希望の存在となることができるのだ、キリストのいのちによって歩もう。
20161120『キリストのいのちによって』ローマ 5:12-21
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