月別アーカイブ: 12月 2016

20161225『クリスマスの喜び』マタイ2:1〜12

「彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」           (マタイ2:9-11)
 クリスマスの喜びは、世界の全ての人に広がっていく。最初にクリスマスを祝った羊飼いたちは、最も貧しく、人口登録にも関係のない人たち、しかしベツレヘムの近くにいた人たちだった。マタイに登場する東方の博士たちは、高貴な人たちであったが、遠く離れ、裕福な人たちと言えよう。博士たちは多くの犠牲を払って王の誕生を祝いに来た。しかし、その喜びの背後には、真の王の誕生に脅威を覚えるヘロデ王の存在があり、彼の恐れは赤子の殺害へと繋がっていく。喜びの背後にある人間の闇や悲しみに、そして闇に輝く光に私たちは心を留める必要がある。その喜びは世界に届けられる。どんな痛みを抱えた人も、どんな高みを経験する人も神の愛から漏れていない。そして神は私たちすべてを招いておられる。本当に喜びへと。それは決して人間中心の喜びではない。貧しくなられ、犠牲を払われ、人となって私たちと一緒に苦しみ、悩み、血を流すために来てくださった救い主を中心とした喜びだ。そこにこそ全世界の喜びがある。全て人を内側から創り変える勝利がある。私たちは、この喜びの時、何を持って主を賛美し、ほめたたえるだろうか。

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20161218『神がともにおられる』マタイ1:17-25

「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」   (マタイ1:22,23)
 救い主キリストの誕生のために、婚約中のマリヤとヨセフが選ばれた。なぜ彼らだったのかは、明確ではない。しかし、彼らの神と人への真実な姿勢は、聖書が明確に証している。主は人の心をご覧になり、また試練を通して信仰の成長を与えられる。
 婚約中のマリヤに子どもが与えられたことを知ったヨセフは、彼女を守るために、内密にさらせようと考えたのだ。それは配慮の賜物ではあったが、彼が思い巡らす中に主は御使いを通して、御旨を明らかに示された。全ては聖霊によるのであり、生まれてくる子は「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」だというのだ。その名をイエス<ヨシュア>と付けるようにとのチャレンジにも、苦難の中で、主の救いを待ち続けてきた神の民の祈りの答えがそこにあることを示していよう。全てが旧約聖書の預言の成就であり、このイザヤ書にも神の民の罪の故に、バビロン補囚となる苦難が迫る中、そこから救い出して下さる主に信頼するようにとの招きの背景がある。私達の人生にも様々な苦難がある。しかし、その背後に隠れる不信仰の罪を悔い改め、信仰を持って進み行くようにと主は私達に語られる。どんな時にも共におられる主ご自身があなたを導いてくださるからだ。恐れを捨て、信仰によって前に進ませていただこう。

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20161211『人となられた神の御子』ヨハネ4:1-11

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」        (ヨハネ4:9,10)
 この世の中には、様々な価値観があり、その多様化はさらに広がりを見せている。私達キリスト者もその中にあって、目を覚まし、真の霊性を見分けていく必要がある。主の弟子ヨハネが歩んだ時代にも様々な異端が登場した。グノーシス的な霊肉二元論の考えは理解し易いという誘惑があった。主イエス・キリストが肉体を取られたことを否定する考えが蔓延する中、イエスを正しく告白しない「反キリスト」を徹底して避けるようにとヨハネは語る。
 主イエスと共に歩んだヨハネこそ、神である主イエスが、肉体を取ってこの地上に来られたことの意味を人生の晩年にあってもなお深く考え、味わい、その恵みに生かされていたからであろう。キリストが私達の罪のために「なだめの供え物(贖いの蓋)」となって下さったことの恵みは、旧約聖書の中に記され、神とイスラエルの愛の契約の成就だからだ。神の御子である、救い主メシヤが、私達と同じ立場に立ち、肉体を取り、苦しみも悲しみも味わい、父なる神の永遠の裁きを受け、尊い血潮を流して下さったことは、父なる神の愛、そして御子キリストの従順と愛を豊かに現していることをヨハネは明確に語っているのだ。歴史の中に明確に示された神の愛、御子の贖いによる赦しを自分の為であることを認め、愛と赦しを受け取る恵みと責任は私達にある。

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20161204『受胎告知の恵み〜マリヤを通しての 救いのご計画〜』ルカ1:26-38

「 マリヤは言った。『ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。』こうして御使いは彼女から去って行った。」                (ルカ1:38)
序、今日は、アドベントの第2礼拝
  ・25日のクリスマス礼拝を喜び、楽しむために 
導入、今日の箇所を描いた4人の画家たち
  <フラ・アンジェリコ><レオナルド・ダ・ヴィンチ>
<アントネロ・ダ・メッシーナ><マティアス・グリューネヴァルト>
1,預言の成就として
  ・アダムとエヴァの問題のはじまり
  ・神様のご計画のはじまり
  *神様は預言者(みことば)を通して知らせる
2,神様からの働きかけ
  ・マリヤを選ばれた神様
  ・マリヤに話しかけた神様
  *神は人に近づかれる
3,マリヤの応答としての献身
  ・御使いの声を確かめたアリヤ
  ・神様の思いを受け入れたマリヤ
  *神様への応答がマリヤの生き方である
 <クリスチャンの生き方>
  ・神様はすべての人に目を向けられている
  ・クリスチャンは神様の愛に応答して生きていく
  *受胎告知は、神様の恵みに満ちた出来事であった

(メッセージ:町田俊之先生)

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20161127『懲りないアドニヤ』列王記 第一2:13-27

「 私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。」         (列王2:2,3)
 この2章には、ダビデの遺言がある。彼はソロモンに対して、強く、男らしくあれと求める。それは人間的な強さではない。主のみ言葉に従い、主の道を歩み通す強さと、リーダーとしての姿勢である。そして、彼は主の御心に従い得なかった人たちの処遇に対しても、ソロモンに言い残していく。私たちが子どもたちに遺言を残すとき、何が中心になるだろうか。何故だろうか。
 ダビデの後の王位を狙っていたアドニヤは、なおも自分の願いを叶えてもらおうとソロモンの母バテ・シェバに申し出る。今度はダビデの晩年に仕えたアビシャグを求めたのだ。それぐらいならと思ったのであろうかバテ・シェバはその願いをソロモンに伝える。しかし、以前のクーデターが失敗し、言わば執行猶予付きのアドニヤの秘めた計算や思いを見抜いたのか、ソロモンは、アドニヤに明確なさばきを決断し、実行する。またアドニヤに組したヨアブに対しても同様に扱う。アドニヤの心の中にある未練や高慢を私たちは笑えない。心の内にある闇と対峙し、主の前に出続ける必要は全ての人にあるからだ。
 ソロモンの心には、ダビデの遺した言葉があったであろう。何が主に喜ばれ、主の前を強く男らしく歩むことであるのか、王となったソロモンは、学び続けていく。私たちも主の前を歩みたい。

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