20161211『人となられた神の御子』ヨハネ4:1-11

「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」        (ヨハネ4:9,10)
 この世の中には、様々な価値観があり、その多様化はさらに広がりを見せている。私達キリスト者もその中にあって、目を覚まし、真の霊性を見分けていく必要がある。主の弟子ヨハネが歩んだ時代にも様々な異端が登場した。グノーシス的な霊肉二元論の考えは理解し易いという誘惑があった。主イエス・キリストが肉体を取られたことを否定する考えが蔓延する中、イエスを正しく告白しない「反キリスト」を徹底して避けるようにとヨハネは語る。
 主イエスと共に歩んだヨハネこそ、神である主イエスが、肉体を取ってこの地上に来られたことの意味を人生の晩年にあってもなお深く考え、味わい、その恵みに生かされていたからであろう。キリストが私達の罪のために「なだめの供え物(贖いの蓋)」となって下さったことの恵みは、旧約聖書の中に記され、神とイスラエルの愛の契約の成就だからだ。神の御子である、救い主メシヤが、私達と同じ立場に立ち、肉体を取り、苦しみも悲しみも味わい、父なる神の永遠の裁きを受け、尊い血潮を流して下さったことは、父なる神の愛、そして御子キリストの従順と愛を豊かに現していることをヨハネは明確に語っているのだ。歴史の中に明確に示された神の愛、御子の贖いによる赦しを自分の為であることを認め、愛と赦しを受け取る恵みと責任は私達にある。

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