20161218『神がともにおられる』マタイ1:17-25

「このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。『見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)」   (マタイ1:22,23)
 救い主キリストの誕生のために、婚約中のマリヤとヨセフが選ばれた。なぜ彼らだったのかは、明確ではない。しかし、彼らの神と人への真実な姿勢は、聖書が明確に証している。主は人の心をご覧になり、また試練を通して信仰の成長を与えられる。
 婚約中のマリヤに子どもが与えられたことを知ったヨセフは、彼女を守るために、内密にさらせようと考えたのだ。それは配慮の賜物ではあったが、彼が思い巡らす中に主は御使いを通して、御旨を明らかに示された。全ては聖霊によるのであり、生まれてくる子は「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」だというのだ。その名をイエス<ヨシュア>と付けるようにとのチャレンジにも、苦難の中で、主の救いを待ち続けてきた神の民の祈りの答えがそこにあることを示していよう。全てが旧約聖書の預言の成就であり、このイザヤ書にも神の民の罪の故に、バビロン補囚となる苦難が迫る中、そこから救い出して下さる主に信頼するようにとの招きの背景がある。私達の人生にも様々な苦難がある。しかし、その背後に隠れる不信仰の罪を悔い改め、信仰を持って進み行くようにと主は私達に語られる。どんな時にも共におられる主ご自身があなたを導いてくださるからだ。恐れを捨て、信仰によって前に進ませていただこう。

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