月別アーカイブ: 1月 2017

20170129『みことばにて交わり、愛に生きる』Iペテロ 2:1-5

「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」          (ペテロ2:5)
 今日の午後、教会の予算総会を行う。新しい一年を主にある一致を持って進むことができることは大きな恵みだ。今の時代にも、キリスト者として歩み抜くことに様々なチャレンジがある。しかし、委ねられた子どもたち、また救いへと導かれている方々と共に、みことばに堅く立ち、主の福音を宣べ伝え、愛に生きる者とされたい。映画「沈黙」が私たちに問うことは小さくない。故小畑進師が指摘するように、その中には、主への信仰を揺るがしかねない人間的なものが刷り込まれているからだ。私たちは見極める必要がある。霊的な戦いは私たちの現実の世界にある。
 このペテロの手紙が記された時代、キリスト者に対する非難や攻撃が強まる中にあった。ローマ皇帝による直接的な迫害の手も広がろうとしている中であった。しかし、ペテロはどんな中にあっても驚くことなく、キリストの栄光に心を留めるようにと人々を導いた(ペテロ4:12,13)。そして、祈りへと心を備え、互いに愛し合い、賜物の良き管理者として互いに仕え合うようにとチャレンジを送っているのだ(4:7-11)。そして、その交わりと愛の行為の原点はみことばにあることが今日の箇所でも強調されている。
 新しく生まれた者は、朽ちることのない生ける変わることのない神のみ言葉によって生まれたからだ(1:22-25)。だからこそ、私たちはこのみ言葉を味わい続け、それに生かされ続け、成長を与えられ、救いの完成を目指していく必要がある。私たちもまた、キリストのからだなる教会を建て上げていくために、生ける石として、主に自らをささげていくことが必要だ。私たちは一人一人、どのように主に仕えていけるだろうか。共に主に従う者とされよう。

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20170115『キリストにあって生きる』ローマ6:1〜11

「あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」
               (ローマ6:11)
 私たちの人生には、様々な岐路がある。そこでどちらの道を歩み、進んでいくのかによって結果が大きく異なることがある。そして時に私たちは失敗する。しかし真の失敗とは何であろうか。
 人間の罪深さを明らかにするとともに、そこに溢れる主イエスにある恵みを語り、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」(5:20)と記したパウロは、恵みが増し加わるために、罪の中に留まろうと考える危険性を明確に否定する(1,2v)。キリストにある者は罪の中を生きることができないこと、キリストの死にあずかったキリスト者は、その復活の勝利にも預かり、キリストにあって新しいいのちに生きる者となったことを強調している。
 しかし、私たちは日々の生活の中に、様々な葛藤があり、キロの選択の中で、主に喜ばれる道を必ずしも選択しないときもある。私たちの罪深さは単純ではない。しかし、それでも私たちは罪の中に留まらない者として、変えられ続け、歩み続けていくことができる。どんなに失敗を重ねようと、主の愛と恵みは、私たちを決して諦めず、私たちに赦しといのちと力を与え続けてくださるのだ。だからこそ、私たちはキリストと共に生きることを選び続けていくことができる。たとえ失敗があったとしても、何度でも何度でも主の前に真摯に出て、悔い改め、その実を結び、日々の生活の歩みを主にあって変え続けて戴くことができるからだ。  キリストにあって生きることは、キリストの内に生きることだ。古い自分が主と共に死んだことを認め続け、いのちへと向かい続けよう。 

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20170108『全き愛は恐れを締め出す』ヨハネの手紙第一4:16-21

「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」                (ヨハネ4:18,19)
 新しい年を迎え、私たちは志を新しくする。志を高く掲げることはとても重要だ。たとえ途中で行き詰まっても、前に向かう歩みを主は豊かに祝福してくださるからだ。何よりも動機が重要だ。
 私たちの人生や日々の生活の中で、「愛」を問われることが何と多いだろうか。それは自己中心的な自己愛や、条件や交換を求める打算的なものとは異なる。それらの思いの背後には、恐れが潜んでいることがある。人からの拒絶を恐れ、自分の思い通りに行かないことを恐れ、他者からの評価を恐れる。しかし、全き愛は恐れを締め出すと聖書は語っている。私たちの内なる恐れの背後にどんな思いや動機が隠れているのか、私たちは神の前に問われ、整えられる必要があり、愛は学び続ける必要がある。
 主の弟子として生活を共にしたヨハネ達は、日々の生活のただ中で愛を学んでいった。それは誰が一番偉いかと考えてしまう自己中心的な自分の姿と向き合う日々でもあった。その罪の全てをご存じでなおも永遠の愛で愛してくださった主イエス・キリストの愛を受け取って、はじめて愛することを始めることが出来ることをヨハネは人生の晩年で深く味わっていく。私たちも日々の生活の中で、真の愛を受け取り、愛を届ける者とされ続けたい。

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20170101元旦礼拝『神の前に静まる』詩篇62:1-12

「私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。」                 (詩篇62:5,6)
 新しい一年が始まりました。昨年中の主にある交わりも心から感謝します。皆さまのご愛と祈り、また献身を通して主の教会が守られ、支えられ祝福されていることを心から感謝します。
 この一年もどのようなことが私たちを待っているでしょうか。移り変わりやすいものに翻弄されやすい私たちですが、変わることのない主の愛と真実の上に歩みを築き上げさせていただき、一人一人が常に静まり、避け所である主ご自身に望みを置く者とされ続けたいと願っています。揺るがされることなく主の恵みに生かされ、愛と福音を宣べ伝える教会とさせていただきましょう。

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