20170115『キリストにあって生きる』ローマ6:1〜11

「あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」
               (ローマ6:11)
 私たちの人生には、様々な岐路がある。そこでどちらの道を歩み、進んでいくのかによって結果が大きく異なることがある。そして時に私たちは失敗する。しかし真の失敗とは何であろうか。
 人間の罪深さを明らかにするとともに、そこに溢れる主イエスにある恵みを語り、「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました」(5:20)と記したパウロは、恵みが増し加わるために、罪の中に留まろうと考える危険性を明確に否定する(1,2v)。キリストにある者は罪の中を生きることができないこと、キリストの死にあずかったキリスト者は、その復活の勝利にも預かり、キリストにあって新しいいのちに生きる者となったことを強調している。
 しかし、私たちは日々の生活の中に、様々な葛藤があり、キロの選択の中で、主に喜ばれる道を必ずしも選択しないときもある。私たちの罪深さは単純ではない。しかし、それでも私たちは罪の中に留まらない者として、変えられ続け、歩み続けていくことができる。どんなに失敗を重ねようと、主の愛と恵みは、私たちを決して諦めず、私たちに赦しといのちと力を与え続けてくださるのだ。だからこそ、私たちはキリストと共に生きることを選び続けていくことができる。たとえ失敗があったとしても、何度でも何度でも主の前に真摯に出て、悔い改め、その実を結び、日々の生活の歩みを主にあって変え続けて戴くことができるからだ。  キリストにあって生きることは、キリストの内に生きることだ。古い自分が主と共に死んだことを認め続け、いのちへと向かい続けよう。 

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