月別アーカイブ: 2月 2017

20170226『神の祝福と知恵』列王4:20-34

「 神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心とを与えられた。それでソロモンの知恵は、東のすべての人々の知恵と、エジプト人のすべての知恵とにまさっていた。」                          (列王記4:29)
 「栄華を極めたソロモン」と表現される。イスラエルの3代目の王ソロモンが所有したものは私達に想像を遙かに超える。しかし、それは主からの恵みと憐れみであり、主からの祝福であった。
 そして、その背後には、主から何を求めるか願えと問われたときに、「知恵」をと求めたソロモンの祈りによって主が与えられた知恵に基づいた祝福がある。「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。」と箴言9:10にある。ソロモンが記したこの箴言には、主からの知恵が満ちている。しかし、その原点は主を恐れることにある。それを失ってしまうときに、私達の心は、表面的な豊かさや所有物の多さ等に向けられてしまう。
 ソロモンには、主が豊かな知恵と英知と共に、広い心を与えられたとある。知恵が広い心に繋がる恵みをソロモンは受け、それを用いることも出来たのである。ソロモンのもとに、諸外国から多くの人々が集い、それだけではなく諸外国から多くの財や宝が集まってきた。実はその時にこそ、真に知恵と英知、そして広い心が試されていたとも言えるだろう。試練の時に私達は主を求める。しかし、その試練が去ると私達の心は容易に主から離れ、物や人からの賞賛に向けられてしまう。真の知恵は豊かさの中で試される。多くの所有や祝福を得たとき、私達はどう主に向かうのだろうか。何の為にまたどのように富や知恵を用いるだろうか。

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20170219『聖さを追い求めて』ローマ6:12-23 

「あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」                  (ローマ6:13)
 世には様々な価値観があり、私たちはその影響を受ける。聖書が語る価値観に立つ人生を歩みたいと心では願いながら、現実には罪の誘惑からくる心の葛藤を常に抱えている。しかし、聖書は私たちがすでに罪に対して死んだ者であり、古い自分がキリストと共に十字架につけられたことを心に留めるように教える。
 罪の奴隷という表現は強烈だが、確かに私たちは、奴隷のように縛られ、罪を犯してきてしまった事実を神の前に認めざるを得ない。しかし、すでにキリストにある永遠のいのちを持つ私たちは、そこから離れ、勝利し、従順のしもべ、また義のしもべとして歩むことができると聖書ははっきりと語り私たちを励ます。私たちの内にあるキリストのいのちは、罪の影響を受け、罪の奴隷として歩んでいた私たちをそこから解放し、キリストの義といのちに生きる者へと変えてくださったからだ。もちろん失敗をしないということではない。しかし、幾度も幾度も失敗を重ね、悔い改めを積み重ねていく中で、神様は私たちを内側から取り扱い、憐みと恵みの中で、主の勝利を私たちに与えてくださるというのだ。聖さを追い求める生涯は、恵みを数え、憐みに生かされ、示される罪を悔い改め続けるへりくだりの道だ。しかしそこに豊かな祝福がある。自らの心を振り返ると共に、主を心から愛する者とされたい。主への愛を深めることこそ、聖さを求める歩みに繋がるから。

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20170212『神に求めて生きる祝福』ヨハネ5:13-21

「神によって生まれた者はだれも罪を犯さないことを、私たちは知っています。神から生まれた方が彼を守っていてくださるので、悪い者は彼に触れることができないのです。」(ヨハネ5:18)
 人生の晩年を迎えた主の弟子ヨハネは、主と共に歩んだ日々また、受けた豊かな恵みを心に留めながら、福音書に引き続き、この手紙を書き綴っているのであろう。この書の目的をヨハネは「あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」と記している(13v)。永遠のいのちの豊かさを覚えると共に、それがどれほど豊かな祝福であるかをここでも3つのことを通して、記している。
 第一は、私達の祈りを主が聴いていてくださり、それに応えてくださるという確信だ。私達の願うようにすべてがなると言うのではなく、私達の願いをも主は取り扱い御旨をなしてくださる。それは雷の子と呼ばれたヨハネの人生が物語っていよう。
 第二に、永遠のいのちを与えられたキリスト者は、罪から離れていくことができる勝利だ。私達は確かに弱く、失敗を繰り返す。しかし聖霊を汚す罪からは守られ、主の御手と聖霊の導きの中、罪を示され、悔い改めへと導かれ続けていくのは、いのちの証でもあろう。主の十字架と復活の勝利に預かるものには、悪しき者は触れることが出来ないとはなんと豊かな祝福であろうか。
 第三に真実な方を知る理解力を与えられたことだ。あらゆる時に主を認め、主の真実な御手を覚えられるところにこそ、神を求めて生きる私達の祝福と勝利がある。主が共にいて下さる。

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20170205『神によって生まれた者』Iヨハネ 5:1-12

「神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。」                            (ヨハネ5:4,5)
 移り変わりやすいこの時代の中にあって、変わることのない神の愛、み言葉の確信に立つことができることは大きな祝福だ。
 このヨハネの手紙が記されたとき、当時の世界も非常に不安定で、教会の内外に様々な混乱があり、キリスト者たちも揺り動かされていた。しかし、主の弟子ヨハネは晩年をエペソで過ごす中、主の真理に立つこと、主の愛に生かされることの重要さを書き送っている。ヨハネは「世」という表現の中に様々な意味を込めた。しかし、その「世」にキリストは来てくださり、闇に満ちた世を光で輝かせ、いのちと喜びをもたらしてくださった。
 そして、この「世」に生きるキリスト者は、キリストにあって、この世で主と共に「世の光」として輝き、喜びと輝きを与え、世に勝利するのだと語っている。その勝利のカギはどこにあるのだろうか。それはキリストを信じることを通して新しいいのちに生かされたこと、そして神の愛を受けて主を愛する者とされた喜び、そして喜んで主のみ言葉に従う従順さにある。このみ言葉は私たちの重荷になるのではなく、私たちに自由を与え、意欲を与え、主体的な主への姿勢を生み出していく。
 どんな弱さを抱えるキリスト者も、このいのちと愛とみことばに生かされる者は、神のあかし(聖霊と水と血のあかし)を通して力を受け、御子のいのちを通して、世に勝利を与えられていくのだ。主の力を受けて、私たちもまた、今いる処で勝利を得続けたい。

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