20170319『深い心の闇』ローマ7:7-25

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。」                     (ローマ7:24,25)
 主の恵みを語ってきたパウロは、自分の内側にある葛藤を正直に語り始める。復活の主と出会い、救いを受ける前のパウロと考える考え方もあるが、主と出会った後のパウロの葛藤と考えることに何も問題がないであろう。私たちは主との交わりが深まれば深まるほど、自分の内側にある心の闇に気が付き、それを認めるようにと導かれ、その罪の現実からの解放を主の恵みとして経験していくからだ。
 パウロは、「律法は罪である」(7)という考えを断固否定している。そして、律法は主からのもので、聖であり、義であり、善である(12)と結論した。パウロは、善である律法が自分に死をもたらすことによって、罪が罪として明らかにされただけでなく、自分自身が極度に罪深い者であることを知り、それを主の恵みによって認め悔い改めに導かれてきたことを証する。
  「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」との告白は、私たちが皆経験することともいえるだろう。その罪の現実と向き合い、それを認め悔い改める事を通して、イエス・キリストが私たちのために、義を完全に成就してくださった恵みと、聖霊が私たちの内にあって私たちを変え続けてくださる祝福に与り続けていくことができるからだ。私たちの心にある深い闇は、私たちを主の愛と恵みに導く招きともいえるだろう。闇に輝く光といのちを受け取りたい。

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