20170507『主の憐みの系図』マタイ1:1-17

 「アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。」                   <マタイ1:17>  今日から福音書の学びは、マタイの福音書となる。少し時期的にずれるが、改めて救い主の受肉の意味やインマヌエルの恵みを味わっていきたい。
 マタイの福音書の最初に登場する系図を読み飛ばしてしまう誘惑は多くの人が受けるだろう。しかし、この中に大切な4人の女性が登場している。ヤコブの嫁タマル、遊女ラハブ、ウリヤの妻とてのバテシェバ、そしてキリストの母として用いられたマリヤである。旧約からの関連を明示するキリストの系図の中に登場するには、いささか課題を含む女性たちとも言えようか。
 タマルは遊女のふりをし、舅ヤコブの子を宿し、ラハブは文字通り遊女であった。しかし彼女たちの悲しみや真実を主はご覧になる。バテシェバも夫を殺された悲しみを背負い、マリヤも誤解を受けかねないチャレンジを主から与えられた。しかし、主は彼女たちを憐み、ダビデの子の誕生に関わっていく。
 さらにこの系図は3つに分かれ、省略を含みつつも、アブラハムからダビデ、ダビデからバビロン移住、そしてキリストまでと整理される。特に2期目の後半から神の民の歴史の暗さが系図を通しても伝わってくる。しかし、その闇の中にこそ救い主イエス・キリストは誕生された。私たちも様々な弱さや愚かさを露呈し、闇の深まりを覚えるときさえある。しかし主はその私達を憐み、恵みと祝福を豊かに与えて下さる。主は我らと共におられる。

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