月別アーカイブ: 6月 2017

20170625『うめきが望みに』ローマ8:18-25

 「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。」 (ローマ8:22,23)
 私達は、様々な悩みを人生に抱える。そこからの救いや助けを願い、解放を求めてうめく。しかし、時にそれは個人的な世界や理解にとどまってしまうことがある。世界全体の悩みやうめき、被造物全体のうめきにまで私達の理解は広げられているだろうか。私達の福音理解が問われている事を心に留めたい。
 ローマ書が書かれた時代の「今の時のいろいろな苦しみ」は、私達の時代の苦難にもつながる共通点がある。一方彼らが通った苦難や迫害は私達の痛みを超える面が多々あった。しかし、彼らはそれらの中にあって、神の子どもとして与えられることが約束されている「栄光の希望」に彼らは心に留め、待ち望む喜びに心を向けた。どのようなうめきや苦難があろうとも、真の希望から目を離さなかったのだ。私達もまた、苦難だけではなく、勝利の主にある希望にしっかりと目を留めたい。私達は、目に見えない「真の希望」を与えられているからだ。
 被造物もまた、人間の罪ゆえのうめきを通っている。しかしそのうめきもまた解放や希望へと向かっている。新しい天と新しい地の創造を目指して、被造物全体もうめいているのだ。うめきや苦難こそ、私達を本物へと導いていくことも覚えたい。今通る痛みや悲しみを通し、私達へ永遠の希望、栄光の勝利へと確実に向かい、主にある恵みを受け取り続けるからだ。主が共に!

広告

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

20170618『父の愛に生かされて』コロサイ3:17〜23

 「主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。『」          (マタイ1:20) 神様は私たちの人生に、様々なチャレンジを与えて下さる。時に負いかねるように思えるときも、神は不思議な脱出の道を備えて下さるのである。(コリント10:13)
 イエスの父親として用いられることになるヨセフは、婚約者のマリヤが妊娠したことを知らされた。ユダヤ人の婚因法では婚約中の2人はすでに夫婦であるから、妻マリヤの妊娠は死に値するものと誤解されかねなかった。ヨセフはマリヤに尋ねることをしなかったのであろうか。マタイの記事は、マリヤの沈黙を示唆しているように思える。完全に主に委ねるマリヤの姿勢を見ることができるのだろうか。
誠実なヨセフは内密にマリヤを去らせることを決断する。それが最善の方法であると思ったからであろう。しかし、主は御使いを通して、その全てが神の御旨によることであり、恐れずにマリヤを迎えるようにとヨセフを教えたのである。しかし実際にマリヤもヨセフも誤解を受けることがあったかと思う。しかしそれをも恐れないようにと主は二人を導かれたのだ。
私たちの人生にも主が働き、今の苦難を信仰を持って受け取るように、受け入れていくようにと促して下さる。それは「主は救い」と訳される「イエス」の誕生こそ、「神が私たちとともにおられる」というインマヌエル預言の成就だったからである。主はどのようなときにも私たちと共にいて、私たちに力を与え、招き導かれる。私たちは主とともに力強く歩んでいくことができる。

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

20170611『苦難の中での神の臨在』マタイ1:18-25

 「主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。『」          (マタイ1:20) 神様は私たちの人生に、様々なチャレンジを与えて下さる。時に負いかねるように思えるときも、神は不思議な脱出の道を備えて下さるのである。(コリント10:13)
 イエスの父親として用いられることになるヨセフは、婚約者のマリヤが妊娠したことを知らされた。ユダヤ人の婚因法では婚約中の2人はすでに夫婦であるから、妻マリヤの妊娠は死に値するものと誤解されかねなかった。ヨセフはマリヤに尋ねることをしなかったのであろうか。マタイの記事は、マリヤの沈黙を示唆しているように思える。完全に主に委ねるマリヤの姿勢を見ることができるのだろうか。
誠実なヨセフは内密にマリヤを去らせることを決断する。それが最善の方法であると思ったからであろう。しかし、主は御使いを通して、その全てが神の御旨によることであり、恐れずにマリヤを迎えるようにとヨセフを教えたのである。しかし実際にマリヤもヨセフも誤解を受けることがあったかと思う。しかしそれをも恐れないようにと主は二人を導かれたのだ。
私たちの人生にも主が働き、今の苦難を信仰を持って受け取るように、受け入れていくようにと促して下さる。それは「主は救い」と訳される「イエス」の誕生こそ、「神が私たちとともにおられる」というインマヌエル預言の成就だったからである。主はどのようなときにも私たちと共にいて、私たちに力を与え、招き導かれる。私たちは主とともに力強く歩んでいくことができる。

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

20170604『遊女のラハブ』ヨシュア記 2:1-13

 ヨシュア記2章から−6章までは、ヨシュアがカナンのエリコ市の征服の話です。ヨシュア記2章1節に「ヨシュアは二人の者を斥候として遣わした。」と書いてあります。それはヨシュアがエリコを征服するために軍事戦略を立てたかったからです。しかし、エリコに行った二人のスパイの目的は、ヨシュアの思った理由と全然違います。彼らは、「ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。」と聖書が教えます。神様が遊女のラハブの命を救うために彼らを送ったのです。
へブル11:31はラハブの信仰についての話です。「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人達と一緒に ほろびる こと を まぬがれました。」信仰があったにもかかわらず、女傑のラハブではなく、「遊女ラハブ」として覚えられています。なぜ、聖書はこの恥ずかしいことを繰り返したのでしょうか。そしてなぜ、神様はラハブを選んだか。それは、神様は罪深い、自暴自棄な、心の痛んでいる人を愛し、神様自身の目的のために用いることを愛しているからです。聖書の神様には、遊女のラハブの罪と過去の生活を隠す必要がまったくありません。私たちも遊女ラハブと同じように、過去の生活を悔やんでいる必要もないのです。ほかの人が自分の短所、恐れ、罪、過去を見て、どう思っているかを考える必要はありません。日本は、恥を主材料とした社会ですから、恥ずかしく思わないように、多くの日本人は問題や罪や過去の生活を隠してしまいます。
イエスは処女に生まれ、人間と一緒に住み、ダビデの血筋の先祖のラハブの子孫です。イエスは私たちの心の扉を開き、癒しの力を私たちに見せたいのです。罪をほかの人から、また、神様から隠すことはありません。それはイエスがその罰を十字架で、すでに受けたからです。私たちは新しい創造物なのです。そして神様にあってよい行いをするためにつくられたのです。過去生活を隠さなくていいです。それはイエスの特別な目的のために選択されることは恥のないことだからです。
エペソ人の手紙2:8−10「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たこと ではなく、神からの賜物です。行いによるではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは(遊女のラハブのように)神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちがよい行いに歩むように、そのよい行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」  メッセージ:ロブ・フレミング宣教師

1件のコメント

カテゴリー: Uncategorized