20170604『遊女のラハブ』ヨシュア記 2:1-13

 ヨシュア記2章から−6章までは、ヨシュアがカナンのエリコ市の征服の話です。ヨシュア記2章1節に「ヨシュアは二人の者を斥候として遣わした。」と書いてあります。それはヨシュアがエリコを征服するために軍事戦略を立てたかったからです。しかし、エリコに行った二人のスパイの目的は、ヨシュアの思った理由と全然違います。彼らは、「ラハブという名の遊女の家に入り、そこに泊まった。」と聖書が教えます。神様が遊女のラハブの命を救うために彼らを送ったのです。
へブル11:31はラハブの信仰についての話です。「信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人達と一緒に ほろびる こと を まぬがれました。」信仰があったにもかかわらず、女傑のラハブではなく、「遊女ラハブ」として覚えられています。なぜ、聖書はこの恥ずかしいことを繰り返したのでしょうか。そしてなぜ、神様はラハブを選んだか。それは、神様は罪深い、自暴自棄な、心の痛んでいる人を愛し、神様自身の目的のために用いることを愛しているからです。聖書の神様には、遊女のラハブの罪と過去の生活を隠す必要がまったくありません。私たちも遊女ラハブと同じように、過去の生活を悔やんでいる必要もないのです。ほかの人が自分の短所、恐れ、罪、過去を見て、どう思っているかを考える必要はありません。日本は、恥を主材料とした社会ですから、恥ずかしく思わないように、多くの日本人は問題や罪や過去の生活を隠してしまいます。
イエスは処女に生まれ、人間と一緒に住み、ダビデの血筋の先祖のラハブの子孫です。イエスは私たちの心の扉を開き、癒しの力を私たちに見せたいのです。罪をほかの人から、また、神様から隠すことはありません。それはイエスがその罰を十字架で、すでに受けたからです。私たちは新しい創造物なのです。そして神様にあってよい行いをするためにつくられたのです。過去生活を隠さなくていいです。それはイエスの特別な目的のために選択されることは恥のないことだからです。
エペソ人の手紙2:8−10「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たこと ではなく、神からの賜物です。行いによるではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは(遊女のラハブのように)神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちがよい行いに歩むように、そのよい行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」  メッセージ:ロブ・フレミング宣教師

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1件のコメント

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20170604『遊女のラハブ』ヨシュア記 2:1-13」への1件のフィードバック

  1. 石橋秀則

    確かに私たち日本人は、恥ずかしいと思うものを隠すという面があります。他人から非難されないように、と思うからでしょう。神はラハブの過去に触れられず、ラハブの信仰のみを見ておられました。わたしも、これを学びとして、過去を恥じないと心に決めました。

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