20170618『父の愛に生かされて』コロサイ3:17〜23

 「主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。『」          (マタイ1:20) 神様は私たちの人生に、様々なチャレンジを与えて下さる。時に負いかねるように思えるときも、神は不思議な脱出の道を備えて下さるのである。(コリント10:13)
 イエスの父親として用いられることになるヨセフは、婚約者のマリヤが妊娠したことを知らされた。ユダヤ人の婚因法では婚約中の2人はすでに夫婦であるから、妻マリヤの妊娠は死に値するものと誤解されかねなかった。ヨセフはマリヤに尋ねることをしなかったのであろうか。マタイの記事は、マリヤの沈黙を示唆しているように思える。完全に主に委ねるマリヤの姿勢を見ることができるのだろうか。
誠実なヨセフは内密にマリヤを去らせることを決断する。それが最善の方法であると思ったからであろう。しかし、主は御使いを通して、その全てが神の御旨によることであり、恐れずにマリヤを迎えるようにとヨセフを教えたのである。しかし実際にマリヤもヨセフも誤解を受けることがあったかと思う。しかしそれをも恐れないようにと主は二人を導かれたのだ。
私たちの人生にも主が働き、今の苦難を信仰を持って受け取るように、受け入れていくようにと促して下さる。それは「主は救い」と訳される「イエス」の誕生こそ、「神が私たちとともにおられる」というインマヌエル預言の成就だったからである。主はどのようなときにも私たちと共にいて、私たちに力を与え、招き導かれる。私たちは主とともに力強く歩んでいくことができる。

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